下元健吉「主張」「信念論」『週報』 第1号、下元健吉「終刊の辞に代へて」『週報』 第20号 ブラジル日本移民史料館所蔵 文書資料 <移(一)-D3 R39>
主張
『週報』 第1号 1946年5月20日
祖国の敗戦を信じ度い人が何処の世界にあらうか。しかも祖国の敗戦はこの上もない厳粛な事実なのだ。信じたくないのが民族の感情である。然し我我はどうしてもはつきりとこの事実を認識しなければならないのだ。
在伯同胞卅万がその生活方針を誤まらず、祖国同胞の復興の意気に呼応して、あらゆる点で、大和民族の発展に、力の限り再出発することこそ、真の意味での、愛国心だと信ずる。
信念論
『週報』 第1号 1946年5月20日
終戦後、勝つた負けたの議論が十ヶ月も続いた後、遂に敗戦認識組に対し、大掛りな暗殺暴行が加へらるるに及んで警察の検挙、センサシヨナールな新聞報道等に依り、過去のデマニユース、陰謀の根元、一切の秘密からくりが白昼に曝露された今日、尚未だ事態を認識するに躊躇する人々が存在するのは一体何故だらうか?
「戦勝ニュースは、デマとしても勝つたと信じて居る事が愛国的信念だ」と云ふ。信念とは負ても勝つたと、負け惜みを云ひ、又事実の前に目を蔽ひ耳を塞いで、やがては夢の様に消えて無くなる果ないものであつて良いであらうか。
祖国が敗戦の苦難に当面し、戦時中に幾倍する必死の覚悟を以て、再建にケツ起邁進せねばらならぬ秋、白昼夢を追ふが如き妄想を信念なりと誇称すべきに非らざるは勿論、事態認識を敢て欲せざるも又断じて愛国的に非らざるを提唱したい。
終刊の辞に代へて
『週報』 第20号 1946年12月31日
本年五月「週報」を刊行して茲に第二十号を編した。
想へば昨年八月以降、祖国日本の敗戦の事実を認識するか、否かの両論に岐れ、在伯邦人の精神的混乱は言語に絶し、その相剋は遂に暴力沙汰と化し多数有識の士を殺し幕末張りの捕物帳を演ずるなど、伯国未曾有の椿事を惹起し、在伯邦人の無智と非常識を天下に暴露するに至つた。
幸にして当局の時宜に適した処置と少数認識者の生命を賭しての活動は、燎原の火の如く延び拡りつつあつた似而非愛国主義者の戦勝論を沈黙せしめ、テロ団の暴行を鎮圧し得たのは誠に不幸中の幸と謂はざるを得ない。
日頃文筆をよくせざる「週報」同人亦同志を糾合し、ただ事態の重大性を憂ふる熱誠の迸[注 ほとばし]るに任せて筆を揮ひ、或は日常職務の寸暇を割き所謂不眠不休の努力を以て数種の刊行物を発行して、時局認識に資し、同胞の対処すべき道を示して来た事は嵐の夜に一灯の役割を果し得たものと信ずるものである。
最近母国と通信の途が啓け、時局認識の全面的徹底も時日の問題となり、特に待望久しかつた邦字新聞も数種発行されることとなつた。茲に於て「週報」の任務は一切此等新聞紙に移さる可きを自覚し、本号を以て終刊とすることにした。
初号より吾人の主張して来た事は、時局を正しく認識する事、大国民の襟度を堅持し敗戦の報に驚愕し自ら狂態を演ぜざる事、世界の新時代を達観し世界平和の師表たらんとする祖国の再建に順応すべき事、今後日本人の進む可き道は、終戦及元旦の御詔勅を遵奉すべき事、祖国同胞の困苦を想ひその救援に馳せ参ずる事[、]凡ゆる報道を接手して世界の動向を察知すると共に科学を取入れ日常生活を合理化する事、出稼根性を捨て天恵豊かな伯国の曠野を開拓し、美しい第二の郷土たらしめる事、子孫をして伯国社会に優秀な要素として繁栄せしめ、更に高い文化を建設すべき基礎を確立する事、而して現下何よりも大切な事は一切の過去を問はず相寄り相励み同胞協力して、失墜された邦人の名誉と信望を挽回すべき事、等々であつたが、紙面に制肘を受け、極めて抽象に走り要を尽さざりしを恨むものである。幸にして刊行される新聞紙上に吾人の主張が検討を受け更に明確なもの且つ統一されたものとして在伯同胞の指針たらん事を切望し本「週報」週刊の辞に代へる次第である。 (下元健吉)