橋浦昌雄日記 1945年8月~1946年7月

Diário de Masao Hashiura (agosto/1945-julho/1946)

Diary of Masao Hashiura

橋浦昌雄(1878-1978)は、鳥取県大岩村長、1927アリアンサ移住地の鳥取県海外協会の現地受入理事としてブラジルに渡る。橋浦泰雄(民俗学者、画家)の実兄。
この日記には、戦中から勝ち負けで日系社会が分断された終戦直後にかけてのサンパウロ州奥地の日本人の動静や考え方が記録されている。
ここには終戦直前の1945年8月1日から、勝ち負けの真相を知るために橋浦自らサンパウロ市に出向き、関係者と面談した1946年7月までの日記を収録した。
日記中のA市とは、アラサツーバ市を指す。
なお、この日記は、サンパウロ人文科学研究所でも所蔵されており、当館所蔵のものは、写本であると思われる。

 

目 次

八月五日(日曜日)


綜合ニュース概要
一、沖縄方面。本島及近島の飛行場十五ヶ所爆破。
一、ボルネオ方面。バルバパン敵軍殺傷九千名。豪洲兵一万人を反撃しアレキサンドリヤ半島ニ圧迫。
一、ビルマ方面。キンタ河方面二万の敵軍を反撃し、マンダレー街道附近にて激戦中。
一、南方沖合にて我偵察機、敵潜水艦を爆沈
一、四日沖縄よりP51、P38百五十機。鹿児島、宮崎、大分を空襲。
一、四日硫黄島よりP51、P38八十機。東京、名古屋、大宮を空襲。
一、四日南方よりB24、B29数十機。千葉、茨木、九十九里浜、を空襲。
一、五日B24、B29各一機宛、浜松、名古屋、岡崎の上空を飛翔。
一、リスボン放送によれば。太平洋方面総指揮官決定せざるため、統一行動困難なりと。
一、マッカーサーは日本攻撃は、空襲の外なしとして、大航空隊編成に着手云々。

此頃は日本放送時間に電流あるのは、日曜日だけであるから、今日は早朝からラヂオ所有者三ヶ所を訪問して上記のニュースを聞き。最後に悲観論の筆頭沖田某を訪ふ。

私。先週は英米放送で、日本全土十三都市を、三昼夜連続爆撃との、警告を発したと云ふことであったが。それも実行されず、二千隻の機艟部隊も、逃げ腰の様だね。

沖。米国の放送によると。現用爆弾の二万倍の威力を有する、原子爆弾が最近完成され、先月試験済みであるから、日本が弥々いよいよ無条件降伏をせぬならば、之れを使用して、日本全土を灰燼とする、又ソ連も日本に対し、宣戦することになったから、弥々日本民族は滅亡する。私は幸ひに伯国市民権があるが、其暁には在伯日本人も、迫害を逃れることは出来まい。

私。そんな威力の爆弾が短年間で発明される筈がない

沖。イヤ其原料である、殺人光線はドイツ女が発明したもので、米国が色々研究の結果、之れを爆弾に応用することを、今回完成したのだ。

私。米国で発明される位ならば、日本に於ても発明される筈だ。

沖。其原料を産出する工場は、米国に三ヶ所あるだけで、ドイツでは資力足らずして、完成されなかった位だから、日本でも生産不可能だ。

私。ハハーそれで判明した。それは多分仏国の科学者へ嫁した、ポーランド出身のキュウリー夫人が完成した、ラヂウームのことだろふ。ドイツがマジノ要塞突破に使用したのが、高周波電熱とそれであり。仏国が其威力に恐れて、巴里文明を救ふために、無条件降伏をした、其爆弾ならば、友邦たる日本にも完成されている筈だ。それからソ連の宣戦だが。スターリンが本気で、日本と交戦するには、少くも半ヶ年の準備を要する急遽交戦に移るとすれば。徹底的に日米殲滅戦をなさしむる。スターリンの腹芸で。それこそ日本の望むところである。

沖。あなたは日本の威力を盲信されてるから、そんな都合のよいことを云はれるが。私はズット以前から日英米の放送を聴取して、日本に軍艦の無いこと、南洋との交通杜絶、軍需品の欠乏等を知って居る。ソ連の宣戦は日本の無力を裏書するものだ。

私。これ以上は水掛論だから止める。君は精々悲観したまへ。私は神様に祈るばかりだ。

 

八月七日


在聖市ブラジル拓植組合の御大、宮坂氏は、部下の解職に際し。此際真面目に働くと云ふことは、母国に対しては敵性を持つことになるのだから、放浪生活の内に大勢を静観すべし。と訓示したとかで、在聖市日系インテリ級は甚だしく不良になった、と云ふことである。此頃私達農村へと、刃物研師と称して、放浪の旅をなす者が多くなり、最近三人も我家で無料宿泊さした。
昨日宿泊した三十台のインテリ男は、愚直な農民達を煙に巻く癖、其調ママで一席弁じそふママなので、当方で先手を打って適当に、あしらっておいた。

私。君は最近の日米戦をどう思ふ。

客。無論日本の策戦に、北米が乗せられて居るのですが、多くの日本人は悲観論です。

私。日本が勝つとして戦後在伯日本人は、どの位帰国しますか。

客。今のところ帰るものと、残るものと、希望は半々ですが、其時になれば、帰国者は先づ二割でせふ、日本が勝てば残っても威張れるし、負けた場合は此処の生活が安易だから。

私。君はどうです。

客。私には帰国費が、出来そふママもないから、残ります。

私。若し帰国費を、母国が補助を呉れたら。

客。其時は一応帰省したいと思います。其代償の意味で、現在の在伯日本人の生活状態を視察して、目下調査書作成中です。

私。戦後の母国は勝っても負けても、純民族的に数を増大せねばならぬ、現在の生活状態に幾分圧迫があるとしても、それは当然のことで、そんなことよりも、日本精神を失はないと云うことが大切である、そふママ云う点も視察して居ますか。

客。私はそふママは思はない、日系実業家の資本を凍結したために、其配下に依存してる従業員の失業や、農民の事業頓挫等は、講和談判の時に、賠償せしめねばなりません。日本精神が無い様に見へるのは、統帥者が無いからで、母国へ帰へれば皆んな立派に日本精神を復活します。

私。実業家の資金凍結とは、例へばブラ拓事業ママ管の如きでせふが、私は寧ろブラ拓の幹部は、平和克復後、日本刑法に照して厳罪すべきだと思って居る。何故ならばブラ拓は日本精神の撹乱者だから・・・・。ところでそれを論ずるには、先づ日本精神から検討せねばならぬ。君は日本精神を手軽に扱って居るが、日本精神の骨髄如何。

客。先づそれは教育勅語を、実践することだと考へて居る。

私。それは大ひに簡単明瞭な思ひつきだが、いざ実践となると容易ではない。其骨子を問ふて居るのだ。

客。強いて云へば至誠と云ふことでせふ。

私。君の云ふところは人道即ち社会人としての精神である。日本精神の根源は尊皇である。尊皇精神の充実練磨、これが将来永遠に、日本民族に課せられたる。偉大にして不滅なる使命である。

客。それは御老体の様な人々の、狭義な日本精神で、日本が将来全世界を統帥すると云ふ理想を持つ以上、日本精神も社会的に進化せねばならぬ。私は平和克復後、此在伯同胞が、日本に帰ることは愚の骨頂だと思ふ。折角此土地に馴致されたのだから、他日全世界を日本化するに際し。第五部隊として活動するのが、最善の態度だと思ふ。二世三世は日本精神を喪失すると云ふ議論を聞くが。日本の勢力が漸進すると倶に復活するのである。老人達は天皇陛下を神様扱ひにせねば、直ちに国賊呼はりされるので、沈黙する外はない。

私。君の忌憚なき意見は議論進行上大変便宜である。君は日本精神を世界的ならしむるには、進化せねばならぬと云ふが、キリスト教が世界的になったのは、教義の譲歩ではなくて、其信奉者の信念の力である。
平和克復後、在伯同胞は帰るも可、留まるも亦可である。只残留者に母国の望むところは、第五部隊ではなくて、日本精神への不断の精進である。何故ならば八紘一宇とは。統帥ではなくて、共存共栄であるから・・・・。
現にブラ拓の奨励してる、ハッカ栽培や、養蚕を見て、独伊人は「日本人は蓄財のためには国を売るも意とせぬ」と嘲って居る。少くも独伊人の対しては、日本精神が誤解されて居る。此行為を推論すれば、東亜共栄圏は日本の利益のために存在する、と云ふことになるのである。是れ即ちブラ拓の行為を糾弾する所以である。
尊皇精神が全世界に理解されることが、平和を招来するのである、所謂「無為にして化す」である。
君は尊皇を非科学的と考へて居る様だが、其考こそ非科学的である。歴史や宗教を抜きにして、簡単に常識的に検討して見たい。
ギリシヤ文明時代に「正義は力なり」と云ふ、格言があった様に記憶して居る。私は之れを「力なき正義は価値がない」と云ふ意味に解して居たのだが、渡伯以来の体験によって、「力その者が正義である」と白色人種は信じて居ることが判った。例へば「人間が悪いと考えることでも、神が行へば正義である」「人間が肉を喰ふために牛を殺すことは正義である」「白人が有色人種を駆使することは正義である」「資本家が労働者を搾取することは正義である」要するにデモクラシーの立脚点は、此正義観から出発したものと考へてよろしい、そこで此正義観を是正せねばならぬが、それは矢張り力による外ない。現在の世界戦はそれに外ならない。

客。其点には共鳴致します、実は私はキリスト教信者で、絶対平和論者であったが。此世界戦以来、信仰がぐらづいて居るのであります。

私。永久の平和と云ふことは、考へ得られないが、「戦争とは世界の煤払い」と考へることは出来る。そこで簡単に「民族は力なり」と考へて見たい。神武天皇御東遷当時に充実して居た日本精神は。仏教其他文化に渡来のために薄められて、ママ公、楠公の如き先輝は、時々発せられたとしても、一般武士道には其点に欠ぐるところがあった。幸ひにして明治、大正を経て今日の聖代に到って、初めて全民族的に日本精神が、充実されることになった。然し今後益々練磨の必要がある。
君の云ふ如く、一人のヒットラー起てば独逸魂は蘇生するなどと云ふ、のんきな時代は往昔のことである。日本が今日檜舞台に登場した以上は、全民族これ英雄でなくてはならぬ。
「日本で巣立った燕は日本に帰る」「日本精神は日本々土で浄化される」「本土で育って外地で鍛へる」「日本で収穫外地で行使」先づこんなところで将来の日本の往き方を、暗示し得たと思ふがどうかね。

客。少し頭が混線した様ですから、一寝入りして考へ直すことに致します。

 

八月八日


三女澄江が野村忠義君と結婚することになったので、結納の形式を左の通りにした。
結納は結婚覚書に両人署名すること。仕度料として三コントス受納すること。

結婚覚書
一、平和克復後ハ野村一家ハ橋浦一家ト行動ヲ共ニシ東亜共栄圏内ニ再移住ノコト
一、伯国在住中ハ両家共農業ニ従事シ農法研究ノコト
一、再移住後ハ農村ニ在ッテ日本農村ノ向上ニ協力スルヲ自己の使命トスルコト
一、子女ノ教育ハ日本語ニ重点を置クコト
一、主婦ハ家庭内ヲ強ク正シク朗ラカニスルタメ主トシテ家事ニ服務スルコト
以上      年 月 日   両人署名

尚ホ「日本農村の向上に協力するを自己の使命とする」に就て一文を忠義君に送った。

前略。 「どうすれば国民は安定するか・・・・・・・・・・安部磯雄氏」
前記の講演は沈思三読を重ねました。実は私は母国で村長を勤めてる時、国民安定策は、現状打破にあることを、痛切に感じ。恰度安部氏説に似たものを考へて居たので、土地国有とするには、現在の地主の行先を考へねばならぬ関係から、熱帯地農法研究のため渡伯したのでありましたが、今回拝借した名士講演集中の、安部氏の卓説を読んで、此難問題が解決された様な感じです。
サテ読書後の感想が、あまり念が入り過ぎましたが、要するに、私の思想と、貴下の思想と一致出来るかどうか、と云ふことの伏線なのであります。
土地国有は私の生きてる内に、実現出来まいと思って居ましたが。此世界戦と云ふ天佑によって、実現が可能になった。将来の日本々土は農産物等の生産と云ふことよりも、優良なる日本人の生産所として、永久に日本を若くあらしめる、聖地となるのであります。そこで私達の任務は、円滑に土地国有を完成すべく、国家から地主へ交付する土地賠償金の利用に協力するにある。今少し具体的に云ふならば、私達はブラジルで会得した、中農式農法によって、南洋に自己の運命を開拓するのであるが、それと同時に、母国の地主たりし人々の資力と、地方土人の労力とを融合して、南洋農業を繁栄ならしむるべく、仲介者たること、之れが我々在伯覚醒農民に降下されたる、尊き使命として、天から拝受するものである。後略。

 

八月九日


昨日からA市青山宅に滞在。今朝早起東天に向って遥拝してると、私党の前川君が来て、義絶してる森某が来て、弥々いよいよ日本滅亡の時がきたと、五月蝿うるさく喚いて居るから来て呉れと云ふ。早速同行して前川君宅着。半狂人の森某の口述左記の通り。

 ニュース概要
一、八月八日午前0時十分モロトフは駐ソ日本大使に左の要旨の通告書交付す
 人類の幸福のために平和を熱望するが、現状ではそれが望めぬ、因って世界の敵たる日本に反省を促すため、ソ連は日本に対し交戦状態に入る。
一、ソ満国境に於てソ連軍越境、日本軍反撃。ソ連機満州朝鮮を空襲。
一、北米機。新鋭爆弾を広島及び長崎に投下、被害甚大。
一、山口、広島へB29六十機、北九州へB29二百六十機、関東地方へP12、P16及び艦上機千百機来襲。
一、沖縄方面へ、我潜水艦活躍。

広島及長崎に投下せる原子爆弾と称するものは、現用弾より、約二十倍の威力を有す毒瓦斯含有弾にして、千九百三十九年独逸の発明せる国際禁止爆弾なり。日本は直ちにスイス公使を経て、峻厳なる抗議を北米に交付云々
非国民森某は、八月五日沖田某を馭した論鋒で、直ちに撃退したが。弥々いよいよ禁止爆弾戦となれば、彼我民族の滅亡となるべきに、想到して、私達は吐息するのみである。

 

八月十四日


九日以来A市に在って、各所のラヂオ所有者を訪問するのだが、電流なきため聴取出来ぬとのこと。国内放送らしいものが、他の時間に這入るが、聴取困難とのことである。ビルグイ方面から八月九日海外同胞に賜った勅語が伝来した。
  海外同胞ハ相扶ケ私利ニハシラズ、艱難辛苦ニ耐ヘ、以テ日本精神ノ美ヲ保有セヨ

漸く十二日(日曜日)朝のニュースが這入った。

一、豆満江方面ソ連軍大部隊越境し交戦中。
一、敵機艟部隊四百隻関東沿岸を南下しつつあり。
一、九十九里浜沖に母艦一隻巡洋艦一隻爆沈。
一、中部太平洋にて敵艦船八隻爆沈。
一、樺太にて交戦中。
一、ボルネオ、ビルマ方面にて激戦中。
一、ミンダナオ、ダバオを我地上部隊攻撃し、六千六百人殺傷。艦船七隻沈破。

借地農世話人福西君が、此度蓄電池使用の高級ラヂオを据付けたので今日から聴取出来るとのことである。
禁止爆弾で一時胸が塞ったが。去ル十二日のニュースでは戦況好転する如くであるから、本日午後の乗合自動車で帰山。

 

八月一日

(注) 原資料の掲載順による。

綜合ニュース概要
一、ボルネオ方面、七月二十四日以来敵に与へたる損害。艦船二十隻、人員四千五百人。
一、八月より、就業する新産業戦士百五十五万人。
一、七月二十六日ベルリンに於て、英米支共同宣言を日本交付。其内容は無条件降伏に等しきものなり
一、重慶政府と分離して、雲南政府樹立。蒋介石は殆んど共産軍の手中に帰したる模様故。分離派は元の国民党ならんと。
一、沖縄より脱出せる将校二名東京着。島民中戦闘力を有するものは、最後迠、軍人同様戦ひたりと報告す。
一、鈴木首相は国民に向ひ、敵の降伏勧告は、宣伝に過ぎざる故、意に介せず今暫く隠忍自重、各自持場に於て努力されたし云々。
一、7月中の綜合戦果
表(省略)

  ビルマ方面殺傷三万人
我損害は艦船若干にして、本土飛行場其他の軍事施設には損害なし。
一、ベルリン三巨頭会議は七月三十日迠のところ更に三日間延期。
一、英米より日本十二都市に対して、七十二時間連続爆撃を敢行するにつき。市民は避難せよと放送し、無条件降伏を強調。
A市民は殆んど全部、日本壊滅は時間の問題と信じて居るらしく。私の髯に対して罵言をなし、或は通りすがりに手を出す者など多くなった。中には親切心から「日本が降伏すると同時に、袋叩きにされるから、早く剃ってしまへ」とママ告する、近所の伯人もある。然し私は其時はそれまでと覚悟して、微笑で報ひて居るのである。ここに最も悪むべきは、仲買商をして居る、伯国生れと詐称してる、三十男の●●某で。此男は日本が英米に宣戦した当時、日本の宣戦理由は不合理で、其行為は卑劣なりとし、最後は日本が敗滅すると、公言して居たが。日本の偉大なる戦果に、暫く沈黙して居たのである。ところがフィリッピン交戦以来、又々日本の壊滅を時間の問題だと、公言して居るそふママである。之れに共鳴して悲観説を唱へ出したのが、●某と云ふ六十三才の頑固爺である。此男は日露戦争従軍下士で、金鵄勲章を拝受して居るとの噂だが。デリー放送を聴取して、日本の敗滅を危惧して居るのである。此両人共有産者でラヂオを据付けて居るので、私も時々訪問して其説を反駁するのだが、手応へが薄いのである。

 

八月十五日


昨日戦況大ひに我れに利ありとして。山の日本人達を喜ばしたのであるが、本日夕頃A市から帰った人の話に、日本が急に無条件降伏と云ふので、A市の日本人は色を失って、右往左往して居る云々。
私はそんなことは無いと信ずるのだが、確報だと云ふのである。
おろおろ声の家族を励まし、兎に角寝ることにしたが。万感交々ばんかんこもごも起って、眠ることが出来ないので。そっと起き出でて、机上に座禅し、禊祓、大祓の、祝詞を繰り返し誦して夜を明かした。

 

八月十六日


早暁より用意して、乗合自動車の速力も、もどかしくA市に着くや否や。日本で放送局に勤めて居たと云ふ、鈴木氏を訪問した。同氏は九月十四日朝放送されたと云ふ。
勅語は聞かなかったが、勝田医師から配布された、文書は之れだと示された。

朕が皇祖皇宗ノ遺訓ニ従ヒ東亜安定ノタメ東亜戦ヲ開始セリ。爾来今日ニ到リ戦果、我ニ有利ナラズ。然モ敵ハ猛烈ナル禁止爆弾ヲ使用スルニ至リ。其ノ惨害甚大ニ及ベリ。之ヲ避ケ難ク。然ル上ハ民族ノ滅亡ト人類文化ノ破壊ナリ。之レハ皇祖皇宗ノ遺訓ニ反スルモノナリ。茲ニ朕ハ敵ノ共同宣言ヲ受理ス。将士ノ英霊亦遺族ニ対シ遺憾ニ耐ヘズ。臣民ハ耐ヘ難キ事ニ耐へ。朕ハ常ニ汝臣民ト倶ニ在リ。臣民ハ世界人類文化ニ遅レズ。克ク朕ノ意ヲ体セヨ。

共同宣言
一、天皇ノ大権ヲ侵サズ
一、帝国ノ政治ハ其ノ国民ノ意志ニ委託ス
一、連合軍捕虜ハ安全地帯ニ送遷スルコト
一、即時軍事行動ヲ停止スルコト

此御詔勅は十日以来重臣を召され御前会議の結果、渙発されたもので、鈴木内閣総辞職阿南陸相は前線将士を激励して自決したと云ふ。後継内閣は東久邇宮稔彦王殿下(御年五十九)に台命降下とのことである。
尚ホ十四日朝放送は従来通り不明瞭であったが、十五日朝の放送は明瞭で、やや全文を聴取することが出来たと云ふ。又一説に海外放送は今後は朝三時三十分に東亜局で放送すると云ったと。
此詔勅を拝誦しての私の見解は。一、将来世界歴史に記録さるべきものとして、文中あきたらざる点があること。二、十四日朝は不明瞭で、十五日朝明瞭となりしこと。三、無条件降伏ならば、東亜局など残存する筈なきこと。少くも以上三点の理由に因って。

一、勝田氏の記録せる詔勅は「十四日渙発された詔勅」を改作せるものなること。
一、日本海外放送局は十四日北米来機のために破壊され、十五日以後の放送は、北米の偽送なること。
一、又受理とは受付と受諾との中間のもので、必らず交換条件が提出さるべきものであること。

鈴木君と両人で斯く検討し、漸く勇気を恢復したので、勝田氏と意見の交換をなすべく、時局談集会所なる、白石ホテルに行く。今や勝田氏は衆人の中に坐して、悲壮なる相貌の下に、日本民族の降伏と、今後の我々の覚悟を説いて居るのである。
曰く。先に敵から交付した三ヶ国共同宣言でさへ、日清戦争前に版図を還元し、米国の監視下に置くものであった。今回は遂に原子爆弾が投ぜられ。且つ四ヶ国の宣言となった以上、天皇の統治を認むるとするも、軍事外交は全然北米の掌握するところとなり、国政の大改造が断行さるることは必然である。我々は明治維新に後戻りして、再出発をせねばならぬ云々。
私は同氏の真率なる態度に魅せられて、落つる涙を止むることが出来なかったが。氏の言終ると共に漸く勇気を回復して、私の所見を述べたのである。
曰く。勝田氏の言の如き、最悪の場合でも、二十年を出でずして、日本人は再び起上ることが出来るのは論ずるまでもない。なぜならば原子爆弾と飛行機の外の武器は不要だから・・・。
然し今回のことは降伏ではなくて、対等の講和開始である。軍事外交を奪って、大権を侵さずとは何事ぞや。羊頭を掲げて狗肉を売るは、彼等の慣用手段である。日本窮したりと雖も、現状において彼等の陥穽かんせいに落ちる筈がない。又四ヶ国宣言がソ連の意見を容れて、三ヶ国宣言よりも緩和されて居るのは、ベルリン三巨頭会議が之を示して居るのである。
私の提言に衆人が共鳴したので。勝田氏と房前某は、手持無沙汰で立ち去った。
便宜上、日本敗戦論者を軟派。勝戦論者を硬派。其中間を推理で行くものを中正派と称すれば。元来勝田氏は中正派の中堅で、且つニュース聴取の便宜があるので、急変情報には、先づ氏の意見を叩くと云ふのが、常例であった。此故に今回仝氏が軟派に転向したのは、A市日系市人に大打撃を与へたことになるのである。
私は禊祓みそぎはらえを心誦しつつ、公園に入ってベンチに腰かけ。微笑に復することに努めた。道行く伯人が私を凝視する、それは私の髯が市童に問題視されて居り、此顔色が勝敗のバロメーターとして扱はれて居るからである。イタリー系らしい労働者が、ボンヂーヤ、パパイ(爺さん今日は)と云ふ。私が青山宅に帰る途中で、中老の人々が呼び止めて真相を尋ねる、私の中正的意見に喜色を取戻し、合掌する人もあるのである。

 

八月十七日

軟派の人々の聴取したニュースでは。降伏書に署名すべき日本代表沖縄に到着せず。よって更に十八日白地緑十字の飛行機で、マニラまで来ることを北米側から命令した、又最後に婦人が日本内地の物資欠乏を述べて、一日も早く平和とならんことを述べ、勝田氏を始め聴取者全部、落涙滂沱として、暫く声を発するものがなかったと。
私は思ふ。如何に窮乏したからとて、婦人に発表せしむることは変である、前線将士に屈服を強ゆるための工作としては、愚の骨頂で、徒に敵をして増長せしむる外の何物でも無い。私は矢張り之れをデマ放送と断ずる、
途次悵然たる人々を、慰さめ励ましつつ、私党の前川君を訪ふ。今日の同君は甚しく意気鋿沈してる。今の先に玉木某が来て。沖田口うつしに日本降伏を断言し、時代後れの国粋論は駄目、早く目を醒ませて、散々嘲弄されたので。咽喉が痙攣して、発声不能になった。悔しくもあり肩が凝って、くしゃくしゃすると云ふ。一くさり両人で気焔を挙げて、白石ホテルへ行く。今サンパウロ、マリリヤ、リンスを経て快報が来たと、見せて呉れる。

一、豆満江附近にて、ソ連軍十六万人を包囲し内大方を殲滅す。
一、支那共産軍と北米軍二十ヶ師を反撃し、乱戦中。
一、九十九里浜二十五浬沖にて敵艦船四百隻を包囲し、内六十隻沈、四十隻大破、三百隻は白旗を上ぐ

之れは又度が過ぎて居るが。日本側の講和会議承諾を、降伏と誤解して、武装解除を行ふべく進軍し来りしに対し、反撃を与へたるものと解すれば。首肯出来ぬこともない。
伯国新聞は、日本の降伏会議に参会するため、欧州から飛行機百五十機で、各国代表、新聞記者が。十八日マニラへ到着する予定、と報じて居る。「降伏」を「講和」と訂正すれば、或は事実かも知れぬ。

 

八月十八日


今朝聴取せる軟ニュースは。天候不良のため、代表の出発が遅延すること、千百万人の重工業従業員を如何に転向せしむるか云々。其他色々あるらしいが、硬派の非難が激しく、多くを語らぬ様になった。
迷へる大衆は、硬派説に狂喜してるかと思へば、軟派説に逢って忽ち気死する。婦人の如きは日に幾度、且つ喜び且つ泣くことか。悲喜交々いたるとは、此数日の状態である。食は砂を噛む如く、夜もママ々眠れぬ、私の中正説は、辛ふじて、一部の人を支持してるに過ぎない。
夕食後前川君宅で。森と玉木の態度に、繰返し憤慨して居る折しも、快報が這入って来た。伊藤君がA駅で、聖市帰来の和田周一郎氏から、聞いたと云ふ話。
聖市の日本人は心配して居ない。講和の勅語が渙発されると同時に、スイス公使を経て、七ヶ条の宣言を敵に交付して、其返事を待って居るのである、云々。
これで我々中正派の意思が確証された訳だ。今晩は安眠出来そふママである。

 

八月十九日


今日は日曜日なので早起、参考のために軟派福西君の、ラヂオを聞きに行く。
今日は電流があるので、各自据付のラヂオを聴くとのことで、来訪者が少い。
各大臣の放送が二、三分間宛、あった様だが、私の老耳には不明ママである。只其声量から語勢まで、各々堂々としたもので、正に大臣の貫目充分と感じた。疑心を抱いて、聴く私でさへ。感に入った位であるから、信じて居る人々が、之れを信んずるのは無理からぬことだと思った。
福西君にどんな話であったかと聞正すと、別段のことなしと、多くを語らない。
青山に帰ってカフェを飲んで居ると、例の前川君が駈込んで来た。
今森某が来て、弥々いよいよ日本が滅亡と確定したと云ってるから、来て呉れと云ふ。
急いで行くと。森某は肩肘を、シャチコバラして。毒気を吐くがま其の儘に、呻くのである。

森。首相の宮様が、前線の将士に、武装解除を命ぜられたのだ。

私。武装解除の如きは、大本営から発令されるもので、首相や陸相が発令するとは怪しい。

森。イヤ弥々いよいよ武装解除を発令されるから、前線将士も国民も騒いではならぬ。軽挙妄動は、英米の感情を害し、善後策に支障を来すからと、訓示されたのだ。

私。君の云うことはママ離滅裂だ。内閣は内閣の行方があり。前線将士には又別の行方がある。私は前線将士に期待して居る。

森。そんな気ママめを、云って居らずに、今後のことを考えることだ。

私。君はどうする。

森。これから生れ代った気で。日本精神などに拘泥せずに、伯人として・・・・・。

私。それはよろしい。それでは新生祝に一杯飲ふ。

森。馬鹿そんな場合か。

私。ハハーすると、まだ日本精神が残って居るらしい。

森。イヤ私は真剣なのだから、弄言は止めて呉れ。

私は前川君と鈴木君を訪問すべく。森君を無視して家を出た。
鈴木君曰く。日曜日のこと故、野君のラヂオを念入りに、かけて見たけれども、かすかには聞へるが意味がとれない。尤もデマ放送は明瞭に聞へるが、それは聞かなかった云々。要するに日本海外放送は、十五日以来聴取不能である。
前川君はこれで愁眉を開いた。私も確信を取戻して、帰路各所に、人々を喜ばして帰宅。
数日の疲労で、珍らしく昼寝をした。

 

八月二十一日


福西君のニュースを聴取した前川君曰く。マニラには各国代表並に新聞記者五百名参会。日本からはママ辺中将以下十六名参会。降伏書に署名を終り、細目を逐次決定することになった云々。
私曰く。降伏書ではなく。之れから開始される、講和会議の相互的宣誓書に、署名したのであらふママ。そこで今一人の傍聴者、玉井君の宅へ行って、数名で談じて居るところへ。漂然森某が来て。恰かも牧師が説教でもする如く。中央に乗り出し手をひろげて。「弥々いよいよ一切終結になった、皆んな迷はず・・・・・」。私は怒り心頭に発して「だまれ」と一喝した。「貴様は我々の前で、発言権はない、言葉を慎め」。私は直ちに某処を去って、白石ホテルに行った。
此処では又リンス発快ニュースにママ頂天なので、御苦労様にも其妄信を、戒むると云ふ仕末。

リンス経由快ニュース
一、米国第一、二、三艦隊千百隻の内八百隻を沈破。三百隻降伏。
一、我空軍一万機出動。
一、我帝国は四十二ヶ国に対し無条件降伏を勧告。
一、英国は既に降伏、米国は降伏遅延の模様。
一、太平洋一般敵軍に武装解除を声明。
一、ウラジオストックは八時間にて陥落。
一、其他の数項は全然信ぜられぬもの故省略する。

講和会議に移行と見極めが、ついたので、午后のママスで帰山。

 

八月二十二日


昨日帰宅すると、山の方ではリンスの快報でママ頂天となり、日章旗を飾るべしと云ふ、騒ぎである。何れにしても軽挙妄動すべからずと、戒めておいて、入浴、就床すると、流石に自宅のこととて熟睡したらしい。
今朝は気分が稍々軽快である、数日来の心の動きを検討して、見たいと思ふ。
不思議な位、A市の警察が日本人の混乱に、寛大であることだ。街路上三三五五、群をなして、日本語で戦争談をして居るのだが、勾引された者がない。市民も別段に意に介して居ない様だ。それが何に原因して居るとしても、我々は伯国の好意に感謝せねばならぬ。

ノロエステ線の探題である在A市デジョナール(大警視)の二十日の放送
一、日本は降伏したが、まだ降伏文書に署名して居らぬから。如何なる新武器で攻撃に移るか予測出来ぬ。
一、在伯米国銀行は取付けを警戒して居る。

概して山の農民には軽卒な言行なく、日々の業務に就いて居る、鈍感ばかりではない。働く者に与へられたる、神の恩恵である。日系市人には所謂「小人はここに乱す」で苦々しき事の数々ではある。
在A市の軟派と称するものは。勝田氏を重鎮として、沖田、森、永田、斉藤、小松、田村、河野、宇江、福西、桐木、兵藤、外数人で、其外に財豪、●●、●●も豹変恒心なく。見苦しいことである。此等の人々は全部有産階級であり、ラヂオ所有者である。但し有産者で且つラヂオ所有者の内にも、硬派もあるのである。其内でも●●、●●の如きは保身的軟派である。

一、●●某は偽称により、伯国人として登録されてる者で。いささか産をなして居り、在伯日本人が永住を決心し。自身を将来、是等を牛耳る地位に置きたい。と云ふ潜在意識が働いて、日本の敗退を望んで居り。今や得意然として、敗戦を強調して居る。

二、●某は征露戦の勇士であるが、素養なく、伯国生れの子女に逆に感化されて、近代日本の進化を疑ひ、サイパン戦以来、日本敗退を予告して居たところ、今日に到り、其敗退が深ママになったので、茫然自失其悲しみを、他に頒たんとするのであるが、反って硬派の嘲罵に逢ひ。騎虎の勢ひ、敗戦に盲進することになったのである。

三、福西君は元来中正派に属して居たのだが。自己の所有するラヂオを、蓄電池を使用する高級品に取換へた其日から、俄然悲報から、悲報へと推移するので、茫然自失の態である。然し今日では、騎馬の勢い位には、進んで居るらしい。

四、勝田氏は中正派で、衆望を負ふて居た人であるが、十五日朝の福西君のラヂオで、聞き馴れたアナウンサーが、勅語を奉読し、次いで鈴木首相の悲壮なる、四ヶ国共同宣言受理に対する、訓話があったので。従来の認識が一変した。然し流石に長野県人であるから。将来英米の出方によっては。潜行運動によってでも、日本民族の復興を、期せねばならぬと云ふ、悲壮なる覚悟であり、我々も此点には共鳴するのである。

五、財豪●●君は伯国帰化人であるから、敢へて論ずるに値ひしないが。将来再び日本人会長等に推薦する如き、錯覚があってはならぬから、一応記録して置く。同君は●●の如き立場で、其欲望も等しいのであるが。別して深き信念がある訳ではない。只々保身のために、軟派となり、硬派となる蝙蝠こうもりの如き存在である。

六、中正派は深き信念を基礎とし、推理によって、是を是とし、非を非として、大衆を誘導するものである。

七、硬派野君は常識的に日本必勝を信ずる人で。産もあり、思想も堅実な人である。

八、硬派前川君は信仰上から、日本必勝を確信して居る人で。今迠軟派を嘲弄的に扱って居たので、此頃は逆に軟派の猛攻を受けて居るのである。

九、硬ニュースでありさへすれば、無批判に妄信する人々で、大衆の八割までは、それであるが。其内の又半数は、軟派に泣かされても居るのである。

十、養蚕を奨励してる。ブラ拓従業員が、しきりに快報を取次いで、大衆に媚を送って居る、我々は決して非国民ではないと云ふ。擬態である。

十一、養蚕の巣窟カフェドポリスの青年達が、勝田氏に向って。貴殿は近頃御勅語に基く、共同宣言受理の事実を発表して、大衆を泣かして居るが、万一事実でない時は、どうするかと詰め寄ったと云ふ。彼等は只単に日本の敗戦と云ふ、言葉を聞くことが、嫌ひなのである。

十二、平生馬鹿者扱ひにされて居た。日系二世達が、熱心にニュース聴取に奔走して居る。真情の者三割、恐怖二割、擬態二割、スパイ一割、得意二割、

 

八月二十五日


明日は日曜日で、朝電流があるから、A市行に決し、バスに便乗。車中の伯人共が、私に向って罵しって居るらしいのだが、伯語を知らぬが仏である。途次乗り合はした高橋君曰く。日本大勝を隣人に触れ廻ったと云ふ理由で、夜警と同行A市警察に行くのだと。高橋君と間違へて私を罵った伯人が。私の下車するときに、罪ほろぼしに、荷物を下ろして呉れた。罪の無い話である。サテ高橋君が警察署に出頭すると、署長は、戦争話を日本人同志が静かにする分には、大目に見逃がせ、と夜警に注意し。騒がぬ様にせよと、高橋君に注意して、それでおしまひ。
チエテ移住地では、日本大勝の祝酒を飲み過ぎて、日章旗を持出し、伯人との奪ひ合ひが、血を見るに及んで、日本人数十人拘禁され、主犯四人はA市警察署に廻送されると云ふ、醜態を演じたそふママだ。
夕頃勝田氏を訪問して、十五日以来のニュース記録の一見を乞ふた。勝田氏曰く。
隣接四ヶ市の熱心なる聴取者が会合して、各記録を比較したところでは、概ね大同小異であるが、慎重に之れを取捨して、作製されたものを、御覧に入れると。其記録によると、日本は不利な現状の立場に甘んじて、平和工作に努力中であることは。察知されるが、十五日以来軟派が流布する如き、絶ママ無条件降伏は認められないのであった。
高橋君に対する署長の処理は、日本人の優勝を認むる故と云ふよりも。日本人に対する同情と、悪化防止が主であり。日本の降伏説を訂正しないのは、伯国経済界の動揺を防ぐためと、考へるのが妥当である。
我々は此工作に協力せねばならぬ。

 

八月二十六日


今日は日曜日で何処のラヂオも聞へる筈であるから、早朝野君を訪問した。求むる日本国内放送は幽かで駄目だから、所謂デマ放送と称するものを聞くことにした。
大蔵省企画局長何某。外務省東亜局長森本某。新任陸軍大臣下村某。
此企画院と大東亜省を大蔵省或は外務省内に局として納めたと云ふことは、東亜共栄圏の確立と云ふ日本の意図の放棄を意味することになるのである。此放送がデマとすれば其デマたるや、正に堂に入ったものである。中正を行く私としては、こんな放送が苦手である。
次に八時半からロンドンの日本語放送と云ふのを聞いた。
此放送では、英国は自国の平和工作に大童おおわらわであり、欧州諸小国の更生に就て、英米仏が審議を重ねて居ることが、推察されたが其終りに、東印度支那の独立を、認むることになったと言及した。
仏印の独立承認!?。之れは東亜共栄圏の確立に関連するのであるから、私達は之れを今日の大収穫として解散することにした。
正午過、青山に来たトルコ人の話によると。トルコ、イラン、イラク、アラビヤ、民族が。大同団結して一国家を結成し。英、仏、ユダヤ、の権益収容工作に着手したと。本国から放送があったと、云って、折柄来合せた、日本人へ握手を求めて居た。

昨夜聖市から帰来した人の「八月二十一日スイス放送」と称する記録。
一、英米ソ支仏五ヶ国はスヰスを通じて日本に講和を申込む
一、日本は審議の上、左の条件を提出
一、五ヶ国は東亜共栄圏を認むること
一、今後二ヶ年間世界の貿易を日本政府監督とすること
一、講和会議はスイスに於て行ふこと
一、米国の横暴なる行為は問責すべきものとす
一、英国は卒先して承諾の旨返答せり

以上のニュースは従来の流言中、最も要を得たものだから、全部を記録する。
A市軟派から、真相探究のため、聖市に派遣した。安田、松本、両君の帰来談に。早尾元領事も宮腰海興支店長も、日本の敗戦を認めて居り。在伯日本人は、流言蜚語に迷ふこと無く。平静業務に従事せよ。と伝言を依頼されたと云ふので。大衆の内には又々半病人が続出しつつある。

 

八月三十日


聖市行の安田、松本両君の帰来談から、硬軟両派の行き方は、益々距離が大きくなった。
例の森某の如きは、日本が勝って居たら、切腹して見せると放言したと。
今日は徒らに、母国の勝敗を論じて居る時ではなくて、お互に日本精神の美と誇りとを、如何に保持すべきかを、思念する外はない。それには最低限度「人類の幸福と民族の滅亡を避くるために、不利な立場を忍んで、講和談判進行中」と云ふ一途の希望の下に生活することである。敗残者の覚悟を云々するのは、まだ早い。
我々は最後まで、必勝の気魄を以て、母国を見詰めたい。
問題の●●君が「弥々いよいよ日本は敗戦と決まった。本州位残ったところで、再び立つことは出来ない、在伯同胞は、母国のことは諦めて、伯国に腰を据へ云々。」と云ったとかで。あちこちに腰を抜かす者が出来つつある。
宮腰氏が十四日渙発された、御詔勅を彼是云ふ者は、非国民だと放言されたとの噂があるので、真偽を確[か]めに安田君に面談した。同君曰く。
宮腰氏は聴取困難な放送によって、御詔勅を拝承したのだから、正確なことは云へないが。「人類の幸福と、民族の滅亡を避くるために、忍び難きを忍んで、四ヶ国の共同宣言を受諾された」ことは確かであるから、此大御心を忖度そんたくする者は、日本国民ではない。との話であった。又在伯日本人の保護に任じて居た、スエーデン公使に対し、二十三日ブラジル政府から、それ等の事務や、日本大使館、領事館の財物のママ管を要求して来たので、引き渡すことになった。此要求は米国政府の要望による云々。但し在来書類はスエーデン公使館に、保管されるらしい。次に早尾元領事も宮腰氏も、日本の実状は不明。と言明された。スイス公使のニュース発表に就て、聞合せたところ、そんな事実は全然無いと、スイス公使館から言明があった。尚ホ宮腰氏は御詔勅は勿論、世界の動きも、エスタードデサンパウロ新聞を精読して居れば。自然明瞭になって来るから、それを信じて居れば、大過無いとのことであった。
宮腰氏も要するに、一都市人に過ぎない。敗戦を信じ謙虚であれば、大過なしと云ふことは、都市人に対しては、妥当かも知れないが。田間の農民には適合しないのである。
山(新墾耕地)の伯人は日系農人を嘲弄して云ふのである。「日本は弥々いよいよ降伏した、今に戦勝祝祭が布令される、そふママすると、お前等は。我々が牛馬の如く鞭で使役することになるのだ」。此放言を封じるものは、我々無言必勝の気魄である。彼等に農具農産物を搾取される人々は、多く敗戦信者達なのだ。
安田氏は。スイス公使館がニュースを発表したことなしと言明したと云ふが。取消すのは当然で、だからと云って。ニュースの否認にはならぬのである。日本人保護事務移管も敗戦の確証にはならぬ。早尾元領事が実状不明と云ふのも当然。要するに安田君達には真相探求者としての資格技量なしと云ふことだ。

 

九月五日


○軟ニュース概要

九月一日。英米代表八名横浜に入港
臨時議会九月一日開催
九月四日降伏書に調印の予定、日本代表若槻禮次郎
九月二日。日本時午前八時三十分東京湾沖合に錠泊せる米艦へ、勅使、重光外相、梅津参謀長、外三名臨場し、降伏状へ署名す。
降伏書内容。維新前の国土を認む、重要都市に米軍駐箚ちゅうさつ、日本国内の動静は米国派遣の総督之れを監視す等々。
九月三日。重光外相海外へ発表の時、弥々いよいよ降伏しましたと三度繰返す。
又海外同胞に対し、平和後母国へ帰りたいと思ふ人もあらふママが、諸君のためには、日本に二隻の輸送船しか無いから、当分帰国の望みは達せられぬ。

○硬ニュース概要

一、八月十八日ウラジオストック港を日本軍占領せり、之れに要せる時間八時間。
一、沖縄、硫黄島、ルソン、ニューギニヤ、太洋洲諸島、太平洋諸島を占領せり、之れに要せる時間四時間、
一、此海戦に於て撃沈せる敵艦船四百隻、撃破三百隻、捕獲三百隻、敵の降伏船は直ちに東京湾に収容す。
一、此日出動せる日本空軍一万二千機
一、マッカーサーは日本軍部に英米ソ支四ヶ国の無条件降伏書を提出せり
一、日本連合艦隊は太平洋上珊瑚礁諸島三十数ヶ所に待機して、敵の虚を衝き、古今東西を通じて未曾有の大懺滅戦を遂行せるものなり。
一、重慶は一個の高固液爆弾にて壊滅す。沖縄、硫黄島、サイパン、グワム、ルソン、諸島には高周波爆弾を用ひて之れを懺滅す。
一、今次世界大戦の日本側の損害は、非戦闘員百万人、戦闘員五十万人なり。
一、広島市の原子爆弾被害は即死二万人、重傷四万人。長崎市は即死一万人、重傷二万人、軽傷六万人にして。長崎市の被害区域甚大なりしは、上空に於て爆発せしためなり、此爆弾にて受けたる傷は、次第に悪化す。

硬軟両ニュースともに極端で、何れも全面的に信ずることは出来ない。前記硬ニュースは比較的低調なので記録したのだが。極端なのでは「白衣民衆の直訴に、感激された陛下は帝位を皇太子に譲られ、秩父宮殿下を摂政とし、旗艦に親臨され、二日にして敵艦隊を全滅、凱旋せられ、皇太子から位を受けられた云々」「此海戦に参加せる我艦船三千隻飛行機十万云々」「サンフランシスコ、ニューヨークは火の海と化す云々」「露国と支那とは国家と認めず云々」等々で箸にも棒にもかからぬ。
要するに此頃の。硬ニュースは一事実を起点とする創作であって。軟ニュースは事実を歪曲せるものである。即ち軟ニュースの魅力多き所以。軟ニュースに推理の価値多き所以が其処にある。
中正派としては元来、日本必勝を確信して居るのだから。硬ニュースを受くることは、快心事であるけれども。常に盲信を事として居た大衆は、快ニュースが怪ニュースと変りそふママなので、あしたには蒼卒として藁を握む溺者の如く、夕には口角泡を飛ばして快に乗る、と云ふ状態である。斯く大衆を背景とする硬派が浮調子なるに反し。軟派は相変らず、確信依然たるもので、偶々彼等の真剣な、敗戦経過を聞くと。一瞬眼前が暗くなって、ドキンと動悸が止まるのである、そして不退転の第六感が其デマなることをママ破して呉れるのであるが。極端な硬ニュースには悪酒を強いらるる如き、深怒を感ずる。
数日以来のA市人は日本人に好感を持つ様になった。それは四ヶ国の宣言を受理した。御詔勅の精神が。伯国新聞によって、伯人に理解されたからである。カトリックの牧師さんは日本は神国であると激賞してるそふママである。別の意味で、トルコ人、スペイン人、ドイツ人、イタリー人は投げキスでも、したいらしい素振りである。私の髯に敬意を表する市人が多くなったので、照れ臭くて、昨日から場末を通ることにした。

然し伯国新聞は依然として、日本降伏を報じて居る。が片隅にチョンビリ快報ものる。
一、上海に白系ロシヤ帝国仮政府を新設。
一、豪洲は単独にて日本の南洋平和工作に協力すると声明

 

九月十日


慰問使節来伯の報が、弥々いよいよ濃厚にA市に這入って来た曰く。
有田八郎氏をママ班とする二百名の、海外同胞慰問使節団が、軍艦数隻で飛行機に衛られて、九月一日 日本出発、九月十五日頃、ブラジルに到着する、其他の諸国に派遣せらるる数は計参千名云々。
A市の硬派の人々は此使節の目的は、在伯同胞慰問が主であると、考へて居るのだから呆れる。私は在伯同胞達が、慰問を受ける資格ありと、自惚れて居る其心根に憤怒を感ずる。
白石ホテルで私は此人達の面前で、堂々と此ニュースを否認して、衆怨をあつめた。
私の否認の理由。既に慰問使節が出発された今日ならば。伯国政府は勿論、早尾元領事へも公報がある筈であり、従って我々に其筋から、公表されるべきである。
或は伯国政府が公表の時期に就て、深甚の考慮を持して居るのかも知れないが、私は当局の公表なき限り、之れを信じないし。旗行列などと騒ぐには早いと思ふ。」
夕食後白石ホテル宿泊の中島君と、用談して居ると、加藤某が一杯機嫌で、盛んに独りで気焔を上げて居る。天皇陛下が一軍人に退位されて、前線に立たれた。四時間の戦闘で全大平洋が日本に掌握された。全世界が日本に対し無条件降伏した。十五日には慰問使節が到着されたのだ云々。之れ等のことは総べて私の否認して居ることなので、此醉漢は私に喧ママを売って居るのであり、私は素知らぬ顔で居たのだが、最後の言葉に引かかった。

加。沖縄は高周波爆弾のために十七分間で、米軍十五万が全滅し、之れに使役されて居た沖縄人、二万も全滅した。然し沖縄人が爆殺されるのは当然である。彼等は討死もなし得ず、敵軍の奴隷に甘んじて居たのは、既に日本人では無ひのだ。

私。君其言は慎んだ方がよからふ。事実その通りであるとしても、我々在伯者に之れを評する資格は無い。我々は在伯沖縄人に対して、同情するだけで可いと思ふ。

加。沖縄人には気の毒であるが。我々には之れを批判する資格がある、若し伯国でそんな場合が生じたとすれば、私は立派に討死して見せる。

私。空閑少佐の如き、軍人の典型と称せられた人でも、あの通りである、殊に沖縄島人中戦闘力のあるものは、最後まで戦ったと云ふことだ。

加。それはそれ、これはこれで、責むべきものは、責めねばならぬ。

私。それ等の人が、死に値すると断ずる前に、在島非戦闘員を、予め避難せしめなかった、軍部にも責任が分担さるべきだと思ふ。

加。天皇あっての軍部、軍部あっての天皇だ。軍部に責任ありと云ふことは、天皇陛下を非難することになる、君は天皇陛下を非難するのか。

私。君は先刻も、譲位、即位に就て、軽々しく放言して居たが、それが不敬罪となることを知らないのか。

加。おれは日本のニュースを信んずる、おれが云ふのでは無い、日本のニュースが知らして呉れるのだ、おれはデマニュースを信じない。君は日本のニュースを信じないのか。

私。一部は信んずるが、全部は信んじない。

加。そんな曖昧は駄目だ。簡単に信んずるか、信じないか。

私は私の愚に気がついたので、匇卒そうそつとして其処を去った。

 

九月十一日


早朝白石ホテルに行き。白石君へ沖縄爆撃のニュースを複写される場合は、「島民二万人爆死」だけは○○○でボカシて貰ひたいと希望して置く。

松原君曰く。昨夜加藤君と議論された様だが、加藤君は「沖縄人は気の毒だと云ってるのに、貴君が何か誤解されて居た様だ」と話して居ました。

私曰く。加藤君が斯く反省することを、希望したのだから、当人が其意志であったら、問題はありません。

一青年曰く。あなたは軍部に責任ありと云はれたそふママだが、軍部が島民に避難を勧告した時、島民は死守すると云った、事実を知って居られるか。

私。そんな事実を知らない。

青。それは確かな事実です、それを如何に考へられるか。

私。それが事実とすれば、軍部に責任は無い訳だ。

私が誇大ニュースに否を打つので、硬派連が憤慨して居るらしい。
現在A市日本人の九割は、日本戦勝の確信が出来た様であるから、他日誇大ニュースの内に、デマが交って居たことが知れても、悲観に逆転はせぬであらふママ。又誇大ニュースを盲信して、逆上するものも無くなったらしいから。私の老婆心もそろそろ引込めた方が可なりだ。
伯国新聞に十月一日から日本人の帰化手続と、所有土地売買登記を取扱ふことになったと掲載してあるそうふだ。事実とすれば問題は重要である。

 

九月十二日


昨日午後七時のアラサツーバ市放送で「日本が各国に使節を派遣することになった」と云ったのを聞いたと云う人が二人出て来た。又一昨日リオ放送にもあったと云う人もある。
斯くなると、私も弥々いよいよかぶとを脱がねばならぬ。早朝白石ホテルに行って率直に甲を脱ぐ。
白石ホテルでは、署長に問合すとか、リオ港へ代表を出すとか、騒ぎが大きくなる様だが。私は今朝私用で、チエテ移住地に行く予定になって居るので、御免を蒙って旅に上る。
今日から三七、二十一日間、酒と肉を絶って、母国殉職の英霊に謝することを自誓する。
午後八時三十分発列車に便乗。三年振りの旅である。ラビンニヤ駅が目醒ましき発展である、此奥には一昨年来、稲作成金簇生との噂があったが。奥部の農業が何と云っても物を云う。正午ミランダポリス駅で下車。高見ホテルで昼食。ところへ旧知の長尾君来合せ、談は直ちに母国の真相に及ぶ。私が数日来の使節に関する経過を述べると、同君早合点して飛び出す。間も無く数名の人々来って真相を質す。私は元来使節派遣は半信半疑なので。卒直に其経過を話すのだが。大旱に雲霓うんげいを望んで居る人々には沈思の余裕なきものか。使節到着と断定して。日系市人は狂人の如く右往左往する。恐るべきはデマの飛躍であり。慎むべきは言行である。
午後一時産業組合荷物自動車が第二アリアンサに復るので便乗。
私は今回或必要から、着換へを袋に入れた、廉服破帽の旅をしたのだが。行逢ふ旧知の人々が、驚き親しみを以て、迎へて呉れるので、暫く私の貧困を、忘れた程であった。特に小倉君、酒井君、井出碩雄君が、奔馬を駆って、逢ひに出て呉れたの嬉しかった。産組第二支部と、小坂君宅で、使節の話を一通り話す。
午後四時チエテ行バスが来たので便乗。夜に入ってチエテ移住地市街ペレイラ、バレット着、二階建の有馬ホテル宿。
有馬氏は元C区で模範農場を経営され、数年前ノーバアリアンサ青年団を引卒して、視察に行ったことがあるので。あらたまって挨拶する。
私の今回の旅の主なる目的は。母国から来て居る手紙を受取ることと。青山の末娘の縁談に就て、堀石氏を訪問することであった。
母国来信は二年前、大川登兄から発信されたもので。今年八月七日伯国へ着せるもの。
「佐藤さん、浅野さん、西尾さん、模範三代造奉公、皆々壮健なり、木村さんオスエ、オサダ死去」と云ふ便りである。
堀石氏は有馬氏と同県人で、立派な家庭であるから、短刀直入に、同家を訪問された方がよろしいと、有馬氏に注意されたので。それにきめる。

 

九月十三日


早朝有馬氏の荷馬車に便乗して、堀石氏を訪問す、有馬氏の話の如く。堅実であり、清廉であり、由緒も正しき、家庭であることが直覚される。朝食の馳走になり、帰路は養子君と同行、徒歩で二里の道をてくる。
本移住地の人々は牧畜、綿作、養蚕に三別することが出来るが、一時流行した。養蚕がすたれて、現在は牧畜に傾きつつあるやに、見受けられた。
敗戦組二割、勝戦組三割、残りは一喜一憂の輩らしい。先般野球競技の後に快ニュースが来て、一杯機嫌に日章旗を持出して、一騒動を演じたのだが。
此移住地には時々こんな失態が起る様だ。
平和克復後。東亜共栄圏に再移住を、覚悟してる人々は。半数に上るらしく見受けた。
先日の騒ぎの後は、午後六時を期して、日本商店は飲食店も、薬剤店も閉鎖するので。夜は淋しい町である。
何処も仝じく。有産階級有識階級の大部分は、敗戦組で、問題の輪湖氏も、アリアンサに逃避して居ると、強気組は笑って居た。マサカ?

 

九月十四日


午前七時チエテ辞去。バスに便乗してアリアンサに向ふ。
途次のイデアル日本人集団地は、約三百戸養蚕を、専ママにして居るらしい、
ブラ拓直営なりし、アリアンサ移住地も、大半は養蚕を主として居るのである。刈桑仕立の若葉青々とし茂れる様はまことに潑濔たるものである。万物冬枯れの昨今にあって。アリアンサのみは生気に満ちて居り、此処で養蚕非国民論でも持出せば、袋叩に逢ひそふママである。
第二市街地の西方には、千五百コントス(十〔ミルレース〕換算として十五万円)の蚕種製造所の白亜館が巍然として聳えて居り、萃奢な馬車を駆る農民も、数々見受けられる。此等は昨年の、養蚕景気の名残りである。

養蚕家A曰く。産業組合の幹部達が、揃って敗戦組で、最悪の場合を顧慮して、事業を進めて行けば、蹉跌はないと云ふのであるが、要するに最悪の場合は、永住と云ふことになるのだから、これから生産を始めんとする、千五百コントスの蚕種製造所の経営等には、好都合であるが。子孫の将来を思ふと淋しい。

同B曰く。ブラ拓の幹部が、平和克服後には、三移住地は日本の租借地となると、云ふ話であったが、敗戦となった今日では、それは夢になった。繭の相場が斯く下落しては、資金償還も困難と思ふ。

同C曰く。君達は敗戦組だから駄目だ、私は勝戦と信じて居る。然し日本政府は我々が、此処に永住することを、希望するに相違ないから、従って千五百コントスの蚕種製造所は半額は補助して呉れると思ふ。

同D曰く。私も勝戦を信んじて居るが、先達って輪湖さんの話に。母国は在伯同胞に、東亜再移住を命令するものと思ふ。其際再移住の最良方法は、各人の財産を評価して、日本政府が一時立替へ、再移住地を指定し、旅費を補助して、大集団的に移動をなさしむること。其後で日本政府はママろに、権益を整理すること。と云ふことであった。何も心配することはない。我々は一生懸命蓄財を心掛ければよい。

同E曰く。私は皆さんの様に財産はなし、別に業を怠った訳ではないが、運が悪るかった。日本が敗けて居ても、勝って居ても、旅費を補助して貰へれば、東亜に帰って、骨身をくだいて働いて見たい。

私は、すっかり顔負けして、只謹聴して居た。

同県人小坂君の宅で少憩。同君曰く。産業組合幹部が全部敗戦組で。従業員百余名が同様であるから。アリアンサ八百家族の内、半数は敗戦、百家族が勝戦を信じ。残りが狼狽組である。敗戦ニュースは、組合が謄写して配布するのだが。先日好ニュースを持帰った人があって。組合に伝達方を依頼したところ、幹部が一笑に附したので、物議が起った。ところが翌日、日本人保護をして居た、スエーデン公使館の日本部が、没収に遭ひ、弥々いよいよ敗戦と決まったと云ふので。従業員が面当にダンスで夜を更した。之れでも日本人か。我々はこんなことで悲憤に暮れて居る。

私は。硬ニュースにも、デマが交って居るので、敗戦組に其虚を衝かれる。私達中正派が苦慮してる点は、其処にあるのだから、硬ニュースとても盲信してはならぬ、と話しておいた。親交のあった、中尾君のところに今夜を宿る。

中尾君曰く。昨年は養蚕室放火が流行して、嫌疑者数名が拘引されたが、一名の自訴人を出して事済み、其後二回も放火があったが、犯人捜索は不徹底である。
伯国当局は日本人間の反目を助成してる様に思へる。
青年の伯語が進歩せず、幹部が伯人に対し戦々兢々として居るので、一般日本人が、少数の伯人労働者にさへ、馬鹿扱ひされてる。
母国献金の積立をして居るのと、野球競技を盛んにして、団結を策してるのが、青年の善行位のところだ。

 

九月十五日


中尾の妻君の好意で。起きる早々朝食の御馳走に預り、少憩の後中尾君宅を辞す。
二キロメートルの道を急いで。共同墓地に参詣する。此墓地は戦前迄は、日本流に墓標が総べて漢字であって、老人達には一つの慰安であったのだが、世界戦に入ると同時に、標面に板を打つけ、其儘何も追書してないので、殺風景なものになって居る。生前親交のあった藤井氏、大森氏、金原氏の墓標を心当てに探し出して、礼拝した。
午前九時バス到着につき便乗、ミランドポリス駅前で下車すると、ノーバアリアンサの青年達が、走り寄って。十分間でもよいから話を聞かして呉れと云ふ。快諾。バーの奥の間で。世界戦経過に就て、自己一流の感想談をなし、質問に応答などして。二時間を過した。此青年達は私がノーバアリアンサに勤務して居た時の、小学校の生徒達である。まことに皆純真に育って居るのである。之れは其環境と、指導者の良いためであらふママ、更めて一日の旅を此処に過したいと思ふ。
午後五時発の列車が、七時間遅着とのことであるから、高見ホテルに宿ることにする。
夜に入り終夜小雨降る、二ヶ月振りの喜雨である。
此旅は予期通り愉快であったが。アリアンサ養蚕家達の、我利我利には驚かされた。二ヶ月の大旱で砂塵天を覆ひ、咽喉は痛むし、禁酒禁肉で、営養不良を感じたが、会談した人々には、幾分宛か良印象を、残したと思ふ。
今回のアリアンサ方面の旅で。私の貧乏を気の毒がる人があったら。最小限度の生活、最大限度の研究農業と云ふのが、私の生活態度だと。説明する気であったが。話が其処まで進まなかった。
第二アリアンサの、女子青年達が懐つかしがって呉れたのも、嬉しかった。

 

九月十六日


午前九時列車到着、下等車に便乗。
私の周囲に兵隊さんが三名座った。ボーイが新聞を売りに来る。日本降伏の写真入記事を見せて買へと云ふ。不用と云ふ。老兵士が笑ひつつペルデ・ジャポン(日本が負けか)と云ふ。ノンノン(否々)と答へると。マットグロッソ洲の奥から、出て来たらしい一人の兵士に。此老兵が耳語する。新聞の記事はデマが多いと、知らして居るらしい。瞑目して居ると。突然「おとーさん」と呼ぶ、振り向くと老兵が「立派な髯だ」と云う、「ありがたふ」と云ふと皆が笑ふ。私は伯語が話せぬので、手持ち不沙汰で困った。正午過A市帰着。其足で白石ホテルに行くと。使節の件調査のため、平井、上村、両君を聖市に特派したとのことである。
日本語ニュース聴取は、従来禁止されて居たのだが、最近は黙認されて居る。それに就ての各自の解釈がおもしろい。
軟派曰く。日本が無条件降伏で、禁止の必要がなくなった。
硬派曰く。日本語放送はデマより外に聴へぬから、寧ろ聴取を奨励してるのだ。
中正派曰く。硬軟両派が出来て、当局は予期せぬ収穫を、喜んで居るのかも知れぬ。

 

九月十八日


ノーバアリアンサ青年団、長尾君、小坂君に送った手紙。
前略。母国使節来伯の件に就て、A市へ帰着後聞合せたところ。「日本ガ各国ニ使節ヲ派遣スルコトヲ命ジタ」と云ふ放送は。リオ放送を二名、アラサツーバ放送を二名。聞いたと云ふことである。又リオ港税関勤務の日系二世が。日本の飛行機の到着を実見した、と云ふ噂もあるので。A市代表二名を其方面へ派遣することを決議、十四日A市を出発したので。今明日には何か通信あるものと待って居ります。
次の記事は、伯国の某宣伝部長が、一日本人に密談したと、称するもので、確報ではないが、記録します。
一、日本先遣陸戦隊のリオ港上陸は九月二十日以後と思ふ
一、伯国正式発表は到着以後なり
一、在伯日本人の戦勝祝は正式発表以後に許可する考なり
一、九月十一日午前三時、日本飛行機一機リオ港着、数時間後去る
一、九月十七日、日本陸戦隊歓迎へ参加のためアルゼンチン船一隻リオ入港
次の記事は、八月末スヰス国放送、と称するもので、一顧の価値ありと認め、記録します。
一、日本が受理した四ヶ国宣言は、其後マッカーサーの背信手段によって、蹂躙され、ソ連を除外も。以前の三ヶ国宣言として送附せる、降伏書に署名を要求せるため。停戦体形の儘。外交戦に苦闘を続けて居る、日本の態度は尊敬に値する。
一、シンガポール、スマトラ、ジャワ、其他の日本軍占領地は確保されて居る。
一、日本々土に接近する敵艦船は、軍独行動機士の自爆によって、猛沈されて居る。
以上の記事を味読すると、日米外交戦の真最中なる、暗示を受ける。従って伯国の態度が曖昧なことも、首肯出来るし、外交戦上から、中南米諸国に、真相を明瞭ならしむる必要も生ずる。此意味に於て、万難を排して急遽使節派遣となった、と推考することが妥当なのかも知れぬ。後略
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ひそかに案ずるに。昨今配布さるる、勝戦ニュースは。其一節はスヰス、スペイン、上海等より、放送さるるものにて、真相と云ひ得るかも知れないが。其の大部分は、之れを受信する、在伯邦人志気宣揚団の、綜合布衍するものと思ふ。而して此結社が脇山氏、宮腰氏、に隷属して居ないことを想像し得る。何故ならば此等のニュースの内に、甚だしく常識を逸したるものがあるから。使節派遣説は、他の記事と違って、旬日にして其真偽が判明する、性質のものであるから、如何に無謀な結社の人々でも、根拠なくては発表出来ぬと思ふ。其点に私は期待する。去ル九月九日までは、私は此使節派遣説を否認して居たのだが、十日午後七時アラサツーバ放送と云ふので。アッサリ甲を脱いで、爾来其実現を祈って居る。不幸にして、他日使節説が立消へとなり、橋浦の軽率が笑はるるとき来るとも。私は今住んで居る心境を嬉しく思ふ。此心境は、勝戦説或は敗戦説を、固執する人々の心境と反映する。神様が私の否認癖を、一寸御叱りになったまでだ。

 

九月十九日


九月十三日発行ガゼッタ新聞に掲載された。「日本降伏書」の写真切抜を、A市に送り来り、白石ホテルに保管して居ると云うことだ。
此写真版は、北米新聞が、日本降伏を宣伝するために、電送(テレヴィジョン)せるものだと、称するもので。重光葵、梅津美ママ郎、Mac Arthur 、ママ○○の順に署名だけは明瞭なのだが、其他は前後とも、只黒点線として、肉眼に入るだけである。
之れに対する聖市日本人宣伝部の見解は、此署名の順序が、反って日本の優位を示すものなりとして、其点線部を、顕微鏡で精査せるところ。日本に対し降伏せる文書であることを、発見した。と云ふのであるが。私の考では。此写真版が銅鈑ならば勿論、鉛鈑であっても、粗悪な紙質の新聞紙の黒点が、顕微鏡によって判読出来る筈がないと思ふ。
只之れを講和開始の宣誓書とすれば、上位の署名国が優位と見て可いと思ふ。

 

九月二十日


昨夜軟派中の非国民、●●の三男が、白石ホテルを訪ふて、「ビラッキ町の特派員から、日本軍艦リオ入港の、電報が到着して。仝町有志七名、リオ港行に決定した」と仝町の親戚から通知が来たから、御知らせするとの切口上。折柄宿り合せて居たマカコ、ベーリョ(古猿)の豪傑連、サテコソと大杯を上げて、気焔万丈であったと。
今朝止むを得ぬ用事で、私が白石君を尋ねると、右の次第で、宿醉を払ふために迎ひ酒のところである。私が「我特派員を信んぜられよ、非国民の投げる、藁を握む愚を避けたい」と云ふと。皆々興醒顔であった。
A市特派員の旅費及使節歓迎費、慰霊祭費、等を用途とする寄附金募集のため軟派を訪問すると。「日本は片付いて居るのに、まだそんな事云ってるのか」と一笑に附せられたと。

 

九月二十三日


使節到着も近日のことでは、あるまいと見通して、一昨二十一日帰山。
本日正午頃、光耀日本人集団地から、佐々木青年が、A市特派員から、来着の通信を持参して呉れた。同氏は昨年蔵書全部を。警察に没収されたと云ふことなので。次の書籍を貸与した。創作集二冊、大衆小説集二冊、政事集三冊、輿論集一冊、農村問題集二冊、皇室典範憲法一冊、教育と文学一冊、計十二冊。
特派員通信は感想文一枚、ニュース一枚である。
一、使節の件は確報なし。電送詔書掲載の雑誌を入手す。云々
一、桑港サンフランシスコ占領、米守備軍武装解除。(以下ニュース)
一、新大統領リンドバークと交渉中。等々総べて信ずるに足らぬ。
禁酒禁肉は、労務の若者達には、内密にして実行することにした。
「一人出家すれば九族救はる」と云ふ意味が覚れた様に思ふ。

 

九月二十七日


使節到着の評判が高いので。山から又々A市に昨日出掛けたのである。
今二十七日は私の誕生日であるが。例年通り健康すぐれず、肺炎予防の注射を打って。勝負事や議論や公会臨席を避け。籠居静養で一日を過した。
夕食後。出聖市代表の帰来談が白石ホテルであると。前川君が誘って呉れるので同行。
一、在聖市の宮腰海興支店長が、敗戦組の隊長で、強談判に行った、壮士達を警察に渡すなど、同胞間が混乱してるらしい。
宮腰氏が敗戦の態度を鮮明にしたのは、拙策である。人物払底は、何れの時何れの所でも、同じと見へる。
一、勝戦組の元締は沖縄出身の、佐藤正義と云ふ人で。各方面から参集した、百五十名の代表者で、使節歓迎準備委員会を組織し、色々奇抜な提案も出て居るらしい。
一、伯国雑誌や、新聞に掲載されてる、「勅語」「降伏書署名」の電送写真と云ふのを見たが。其内でも「勅語」だけは偽造と断言出来る。
一、勝戦ニュース聴取所は、二ヶ所あって。受信天才と称する三原某君のところは、絶対に傍聴を許さぬが。他の一ヶ所は、交代で代表者にだけ、傍聴させるそふママである。然し希望者殺到、清聴の余裕なかりしと。
一、ミゲール・コスタ氏のところへ、愛顧を受けて居る、一日本人が伺ったところ。「日本は戦争には負けたが、外交で勝った」と話したと。之れは一般伯人を代表する見方であるのかも、しれない。
一、英国一看護婦が応募当選したと云ふ「一鋏で十字型を切出す法」が聖市方面で迷信的に話題に上って居ると。それは偶然にも、切屑全部と十字型とで「日本」と組合はされるのである。之れは興味ある話題である。
一、其他、色々あるが、記録するに足らぬから略する。
一、今日の勝戦ニュースの最高峰
日本任命の北米新大統領リンド・バークとカルホルニヤ上陸軍司令官と協力し、北米国民の鎮撫工作中。
一、今日の敗戦ニュースの暗極限
皇室の財産没収。今上陛下、米大使館臨幸。
勝戦ニュース盲信者にも、いささか嫌厭たる点もあるが。敗戦ニュース盲信者に到っては、沙汰の限りである。
一般に日本人各集団地の、リーダー達即ち、智識階級や有産階級の大部分が、敗戦信者となったことには、何が原因するか。ラヂオを毎日聞いて居るから、信んぜざるを得ないと、云ふのだが。要するに日本精神が充実して居ない。と云ふことに帰着するのである。又キリストの所謂「持たざるものは幸なり」の逆でもある。
今日の敗戦組勝戦組を分類すると、去ル八月二十二日頃とは、若干違って居る。
一、●●は。世界戦の最初から、日本の宣戦理由は卑劣であると、放言して居たので。今日では日本の滅亡を当然とし、一日も早く伯国民たる手続きをなす様、親近者を勧誘して居る。
二、●●、●、●●、●●、の輩は。元来伯国永住希望者なので、寧ろ日本が負けて、在伯同胞全部が。永住することになるのを、祈って居るのだと、近所の人の評判である。
三、●●、●●、●●、●●、●●、の如きは。日本の降伏で、世界戦は終結してるのに、勝った勝ったと、空騒ぎしてるのは、沙汰の限りだと、逆に憤慨してるのは。いささか殊勝に思へるけれども。皇室のことが云々されてる今日。尚デマと目の醒めぬは、哀れである。
四、●●の如く、最近に到り、敗戦組に転向したものもあるが、之れは宮腰氏が敗戦と言明したので。無定見に転向したものらしい。此輩は日本が勝ったと決定すれば。イの一番に再移住を策するのである。
五、勝戦組の内でも。自己の信念によって、之れを確信してるものは、二割で。盲信者二割。準盲信者四割。便乗者二割。と云ふところである。

 

十月一日


ノーバアリアンサ青年団、長尾君、小坂君に送る第二信。
世界戦経過          橋浦昌雄述

八月四日。英米支三ヶ国共同宣言を重ねて日本に交付す。其要旨「無条件降伏せよ、米国には日本全土を一瞬にして焼土となすべき、原子爆弾も用意してある」。
日本は直ちに之れを拒絶。

八月六日。B29号機広島に原子爆弾投下。被害稍大。

八月八日。ソ連は日本に宣戦し、ソ満国境に於て交戦開始。

八月九日。B29号機長崎に原子爆弾投下。被害甚大。
日本は直ちに「此爆弾が国際禁止爆弾なること、日本にも用意あることを」スヰス公使を経て、英米へ抗議。

八月十一日。英米ソ支四ヶ国宣言を日本へ交付。其内容「天皇の大権を侵さず」「政治は国民の意志に委託す」「直ちに停戦すること」「捕虜を安全の地帯に移すこと」
註。無条件降伏宣言には、ソ連反対なりしため。更めてソ連の意見を容れ、上記の如き四ヶ国宣言となりたるものなり。

八月十四日。数回の御前会議の結果。「人類の幸福と民族の滅亡を避くるため、四ヶ国の宣言を受理す」る旨の御詔勅が渙発せられ。同時に日本の要求条件を英米代表へ手交す。
註。受理とは承諾にはあらず、例へは帝国議会に於て、建議案を受理し、之れを審議に付する類にして。必らず対者に提案ある筈なり。
日本軍部は現状に於て、講和に移ることを遺憾とし、引責総辞職をなし。阿南陸相は、特に前戦陸軍将兵が、重大危機に直面せるに対し。身を以て其覚悟を示されたのである。
註。軍部の意見容れられざる場合。楠公湊川戦死の如く。軍人は只死あるのみ。

八月十六日。東久邇宮殿下、新たに内閣を組織され。大本営よりは前線将士に停戦命令が発せられた。

八月十八日前後。四ヶ国は。日本軍の停戦体勢を窺ひ。機、乗ずべしとなし。盛んに日本語デマ放送をなすと同時に、武装解除を大呼して、進攻し来った。日本前戦将兵は、ねて期したることなれば、満を持して充分手許に引つけ。反撃又反撃。各所に大戦果を納めた。太平洋上其他の沿海に於ても、同様の状勢下に海戦があり、大戦果を納めた。
註。エスタードデサンパウロ新聞八月十八日記事。「土佐沖にて来輸送船十二隻撃沈さる(○○)」「B29号六百機日本々土爆撃行のところ内四百三十七機帰還せず(グワム電)」
十八日。前後は、各戦線混乱に陥り、双方共大本営の命令徹底せず。ウラジホストックの攻略。沖縄、硫黄島、サイパン、グワム、フィリッピン、ボルネオ、其他の敵飛行機基地が、大爆撃を受けて、全滅せることは想像し得る。
最初日本の提出せる講和基本条件は「東亜共栄圏を含む、各民族の独立」が主たるもので、其頃戦意を失って居た、英ソ支三国は、概ね承諾の意志を発表したのだが。
マッカーサーの背信手段が崇って、反って講和に対する地位が主客転倒した。
此に於て米国は盛んにデマ放送をなし。参戦諸小国の離反を防止すると共に。日本に対し不利な立場を弥縫びほうせんと、最後的に努力中、日本は之れを静観。

九月二日。日本対九ヶ国(米支英ソ豪加仏蘭新)の代表が講和基本条約書に署名。を終りたるものと見るのが妥当である。
註(一)爾来外交戦に移り。北米は得意のデマ放送によって、之れを有利に導かんとするに対し。日本は国際道義の廃頽せる現在に於ては。其位置が放送に不利なる関係上、放送戦を断念し。亜細亜西部及び南米に。真相を伝ふるため。万難を拝して、特使派遣を企図せらるることは、あり得べきことと思ふ。
(二)現在行はれある勝戦ニュースが、事実上海より発せらるるものとすれば。之れは親日支那人の、創作的放送であり。敗戦ニュースは、米国に於て事実を歪曲して放送するものと見るのが、妥当である。

続論。彼等は。彼、我何れにも徹底的勝敗なく。現下、外交戦に移向せることを信じ。冷静に各其業務に従事し、時節の到来を待つべきである。
註(三)。勝戦ニュースは、亜細亜諸民族の、奮起を促すために、発せらるるもので。敗戦ニュースは、南米諸国の離反を防ぐために発せらるるものならん。即ち南米にあって、敗戦ニュースを信んずることは。醜敵北米の策謀に協力することになるのである。

 

十月三日


九月二日に日本弥々いよいよ降伏書に署名したと云ふことで。それ以来敗戦組の態度が平静になった様である。要するに母国のことは諦めて、ブラジルに永住することによって。新しき人生を掴まふと云ふ、考へになったらしい。
最近在聖市の、硬ニュース報道部の人々が収監されたり。奥部から使節騒ぎで出聖した人々が。帰路駅頭で検束されたりしたので、以来硬ニュースは、尻切トンボになった。硬ニュースも行詰りと見へて居たから、恰度よい潮合とも云へる。
プロミッソン間崎氏が敗戦的平静の工作中を。マリリヤ硬派が快ニュースを持して、青年層を狂奔せしめたと云ふので。警察沙汰にしたとか。リンス農田源行氏にも、同様の行為があるとかで物議を生じて居る。硬派の無知、軟派の卑劣、共に祖国を辱しむるものである。
サンタヘイと云ふところに、●●(●●)某と云ふ百五十町歩程の耕地を、日本人数家族に貸してる、地主兼自作農が居る。此男がA市の沖田に敗戦を吹き込まれて、弥々いよいよ永住と決心したらしいが。小作人が勝戦熱で騒ぐので。「お前等は俺のお陰で、生活してるではないか。日章旗が養って呉れるなら、旗を押立て立退け」とママ鳴りこんだと云ふことである。之れが敗戦かぶれの標本の一人。
私の住居の近所に三●(●●)某と云ふ我利々々で小金を貯へてる農業者が居る。硬ニュース盲信者で。遅くも明年内には。故郷に錦が飾れると、勢込んで居たのだが。使節到着が予定外れとなったので。私のところに意見を聞きに来た。

私。目下日米講和会議中であるから、輦轂れんこくの下に再移住出来るのは、早くて二年後であると思ふ。

三。一体、日本は勝てるのか、敗けてるのか。

私。勝って居る。英米に東亜共栄圏を認めさして、目下其確立に努力中。其他のことが目下懸案となって居るのだ。

三。日本にそれだけの力があるならば、硬ニュースの通り、北米本土を攻撃するのが本筋ではないか。

私。其の目的を「人類の幸福のために」放棄したのが。即ち忍びがたきを忍んだ所以である。

三。今一息で全世界が、日本の自由になるのだ。東亜に止まる筈がない。

私。権利には義務が伴ふ。日本は自ら止まるところを知って居るのだ。

三。再移住は二年後との話であったが。私は故郷の田地を買戻して、地主になるのだから。明年は帰るつもりである。

私。日本が負けて居れば、或は地主制度が継続されるかも知れないが。日本が勝って居れば。日本々土は土地国有と云ふことになるのだろふ。

三。それでは人間に励みと云ふものが無くなる。

私。貴君の如き考が、デモクラシーなのだから、それでなくては働甲斐がないと云ふことならば。当国へ永住されるがよい。

三。貴殿の話は、私達にはのみこめぬ。

此人と同じ考が。硬ニュース盲信者には、多い様である。極端なのになると。使節到着と同時に帰国すべく。財産整理に着手してる、有産者も数名聞及よぶ。

 

十月十日


本日A市に出たところが。青山君が意気銷沈として話すのである。
母国日本が「マッカーサー」の諒解を得て、八月十四日渙発の詔勅を。今回仏語に訳して、スヰス、アルゼンチン等を経由して、伯国に到着。サンパウロ市ギード牧師が入手したのを、宮腰氏に手交したので。宮腰、古谷、宮坂、山本、蜂谷に山下、脇山氏まで加はって。伯国官憲の諒解を得て。仏訳勅語を更に日本語に訳して謄写し。奥地の青年層に呼びかけて之れを配布し。所謂敗戦的平静に於て、今後を善処せしむべく工作中云々。
早速A市同志会長●●君を訪ふ。同君曰く。私達は問題にして居ない。青年部では協議の結果。個人の資格で、米倉、黒木、両青年が出聖市中らしい云々。
之れは宮腰氏以下敗戦組の仕組んだ芝居としか考へられぬ。仏語の勅語。宛名無き郵便物。・・・。如何に日本が窮乏の極にあらふママとも。こんな迂遠な郵便物を出す筈が無い。之れは母国の叡智を冒涜するものである。
此事件が起ってから。当A市敗戦組の活動は目醒ましきもので。各日本人ホテルや近所の伯人等に「日本敗戦が弥々いよいよ明瞭になった。在伯邦人は今後忠実なる伯人として努力するであらふママ」と宣伝してるのである。
敗戦家の近所を通ると、無智な伯人や悪童が。手を触れんばかりにして、侮辱の限りを尽すのである。
私の住む山の伯人共は。「橋浦が髯を落さぬ内は、日本人に乱暴しては、ならぬ」と云ってる。それほど私の髯は重要性を帯びることになった呵々。
邦人間に不心得者が増加しつつあるに拘はらず。流石にドイツ人、トルコ人、スペイン人、等の日本を尊敬することに変化はない。A市本町通目貫のところに、シリヤ人が「バー」を経営してる。此男は肥大の体躯で眼光炯々けいけいたるものだが。一ヶ月以前フトしたことから、挨拶を交はすことになった。其男は私を日本武人と見て居るので。通りがかりに威勢よく、挙手の礼をすると。「お早うございます」とか「今晩は」とか云って日本語で日本流に頭を下げて礼を返すのである。ああ輦轂れんこくの下を離れたる。日本人達の卑屈さよ。

 

十月十九日


昨夕勝田正通氏死去の報があって、我家はビックリした。恰度ルーズベルト大統領死去の時の様に其死が尋常でないことを推想したのであった。
今朝バスでA市に出で、仝家を訪ひ、納棺されてあった先生に、最後の名残を惜んだ。そふママだ氏の最後をとむらふために暫く先生の愛称を用ゆることにしよう。
先生の死相はまことに眠るが如き温容で、正に神の恵みの豊かであることを示さるるものであった。生前如何に威張って居ても。死後尚ホ其偉容を保つことは至難である。先生の生前の徳行と云ふか。大度量と云ふか。或は又徹底せる人生観と云ふことに就て棺側に持して回想を久ふした。
午後四時出棺、会葬者無慮五百人、大部分は日本人であり。アラサツーバ市創まって以来の盛儀であると、古参の人達の話である。墓地迄約一里程を柩車で運ばずに、六人の人々が捧持したのは一層崇厳を極めた。途上の商店が全部店を閉ぢて敬意を表した。若し先生が勝戦信者であったら、会葬者は千人を超へたらふと話して居た。
一昨十七日夕頃まで、先生は所謂敗戦勅語を持廻って、行先先で説教したが、共鳴者は少なかったらしいとのこと。勝戦信者の心理と、先生の敗戦的決意とが、互に理解出来なかったのである。そふママして帰宅後に心臓麻痺が起ったのである。
先生の誠意が大衆に誤解された儘で、逝かれたことは悲しい。然し先生は自己の全部を尽したことに満足して逝かれたことであらふママ

 

十月二十一日


本日汎アラサツーバ青年の集会があると云ふので傍聴に行った。
此会合は元A市青年会長梶本君主催で、近郊青年有志と云ふ名目で。矢張り元支部長であった人々の集りである。
聖市宮腰氏達の指導で出来上った決議書と云ふものが中心である。これは「疲弊窮乏の極にある、祖国を救ふために醵金して物資を調達し、在伯米大使に依頼して、至急祖国へ輸贈しよう」と云ふのである。
農村の青年達としては「祖国は敗戦して居るとは信ぜぬから、決議書には共鳴出来ぬが。祖国に、感謝の志を捧ぐるために、今から準備するとして。先づ汎アラサツーバ青年団を組織し。祖国との交通開け次第。謝恩の実を挙げよう」と云ふ様な申合せであった。
私は後刻、敗戦系青年幹部に左記の一文を送った。
前略。祖国が仮りに軟派の云ふ如く無条件降伏をして居るならば。八月十四日以来既に二ヶ月余になって居るのだから。日本政府の公文を各国政府に送附することを認許し。各在外同胞に其進むべき道を示すことは。日本対列国の相互の利益なのである。(我々は如何命令でも祖国に盲従する覚悟で居る)それから。軍事外交は米国が管理すると云ふことならば。日本語放送は国際的に消滅すべきである。何を苦んで数ヶ所、日に数回の日本語放送をせねばならぬか。此等の事実は日本の降伏にあらざることを裏書するもので。換言すれば。外交戦が熾烈を極めて居ると云ふことである。従って我々海外にある同胞は、最後まで必勝を信ずることが。祖国に対する、切めてもの御奉公である。
然し祖国が事実敗戦である場合も一考して見よう。仮りに旅先で兼ねて大病の父が、故郷で死んだ。否な全快したと、噂が伝ったとする。此場合其児は如何にするであらふママ。父を仏として、供養するよりも、先づ其全快を祈るであらふママ。事実は死んで居ても、其霊は其遺児が人生の希望を失はぬことを欲するだけであらふママ
尚且つ在外同胞の各職業的立場から云ふならば。日系市人は或は敗戦でも其儘活きて往けるかも知れぬが。日系農民はそれでは立ちゆかぬ。何故に。愚かなる山の伯人達の農産物窃取を未然に防止する力は。日本必勝の気魄だけなのである。後略

 

十一月三日


今日は私達明治ッ児には最も意義深き明治節である。此佳き日に我末女和江が中島久雄君と結婚して。強く正しき人生へと、新しく歩を進むることになった。長女は北海道人、次女は伊勢人、三女は土佐人、此末女は薩摩人へ嫁した。最後に残った、長男へ関東から嫁を迎へれば。概ネ日本全国に亘って結縁したことになる。別に巧んだことでないから。一寸面白く感ぜられるのである。
去ル十月二十七日、突然ゼツリオ大統領が退位して、十二月二日新大統領就任まで。現副大統領が臨時就任と決定したとのことである。世上には特記すべきショックもなく。A市人などの平穏無事な面搆には、他国者の私が、反って憤怒を感ずる位である。
今回の改選を期し、ゼ大統領は重任せず、軍部支持の新大統領の新体制実施の予定で進んで居るところへ、現政府要人達が、ゼ大統領を重任せしむべく、策動するので。陸海空軍ママ脳将軍達が、突如ゼ大統領を訪問、強要して退位せしめ、郷里へ帰還を許したが。現政府要人達は全部監禁したとのことである。
云ふまでもなく。今世界大戦に於ける、ゼツリオ大統領の外交内治は事毎に感歎するばかりで。ヒットラー。ルーズベルト。に準ずべき傑物である。従って今回の政変には、何かしら理智的な動きが感ぜられる。
先般。聖市宮腰海興支店長達が、青年層に配布した「重訳勅書」が問題になりそふママなので。回収に努めて居るとの噂であるが。事実とすれば愚の骨頂である。既に発せられた不敬行為は、仮りに証拠物は堙滅されても。衆口は塞ぐことは出来ぬ。其目的が善であれば。手段位は見逃してと云っても。事によりけりで。尚も勅語の改作など、臣民として想到し得ることでは無い。御名御璽、各大臣副署と特に記入してある以上。解説であったとは絶対に言はせぬ。これをしも不問に付することあらば、将来の日本精神何処にか保たん。
チエテ移住地の対岸。イデアル日本人集団地の●●某君の談話。八月十四日の御勅語から敗戦説が盛んに伝はって。女達は泣き通し。男達は喚めく、喘ぐで、働く気力も失せて居たところへ。八月二十一日快ニュースが飛込んだので。一時に逆上して、隣近所が互に狂奔したのである。ところがチエテ移住地で国旗を持出したところから。日伯人の争闘となり。三十人程収監され。其傍杖で私達十五人も収監された。ママ脳と目された五人は拇指の爪を潰すと云ふ拷問を受けたが。ニュースの出所は白状しなかった。チエテの人達は一人二コントス宛とかの贈賄で一週間目に出獄。私達は贈賄せずに三日後に出獄した。其後警察本部に収賄が知れて。署長は免職入獄したとの話である云々。
我A市は快ニュースに妄動する者も無く。警察の方でも寛大に取扱ったので。唯一の無事故の都市であることは。いささか異とするに足る。

 

 

(省略)

十一月三十日


昨日正午A市戸嶋宅で臣道連名と称する結社の幹部の講演があつたので傍聴した。
仝本部は理事長吉川騎兵中佐。専務理事根来理学博士、顧問久保哲学博士が中心となつて居るが理事長は目下中風症で静養中なので根来、久保両博士を佐藤●●君と云ふのが案内役で奥地講演行脚とのことである。
臣道連盟の生ひ立ちは。三年前マリリヤ市に憂国の志士五名が、何か母国に尽したいと考へ。第一着手として。敵性産業たる養蚕とハッカ栽培を中止させることに努力したが。反響少きため。聖市に吉川中佐を訪ふた。其頃吉川氏は宮腰氏達が官憲から委託されて居た。救恤金きゅうじゅつきんの使途不正なるに公憤されて居た矢先とて。此青年達の行動に共鳴され。相提携して臣道連盟を組織し。宣伝法として、聖市に雑貨卸商店を経営し。地方に行商せしめつつ。同志を糾合して居たが。不幸にして吉川氏が入獄の厄に遭ひたるため。爾後雌伏すること十五ヶ月。去ル十一月十三日出獄されたので。それをママ機として積極的に大衆に呼かけることになつた。

会の趣旨は。日本は想像外に大勝して居る。海外同胞は近き将来、東亜共栄圏内に再移住を命ぜらるると思ふが。其際母国に対して、恥かしくないだけの行動と修養をして置かねばならぬ。それは隣保相扶け、敗戦思想を排除し、家庭では絶対的に日本語を使用することとし、最後まで家業に精進すること等である。又役員は最後の一人を出発せしむるまで、在伯して世話する覚悟である。
以上を以て臣道連盟の外貌を彷彿し得たものとして。次に会場に於ける感想を述べることにする。仝会の地方に於ける会の結成は、初め潜行的に其の地方の同志を糾合して役員とし。講演後に希望者を入会せしむると云ふので。至極自然的な推進法と云ふべきだが。此会に最も欠除して居るのは謙譲と云ふことである。講師を博士と偽称して(之れは私の直感で断言するのである)聴衆を刺激し。畏くも御尊影の御前に於て、聴衆を起立せしめ、役員を任命すると云ふ尊厳さを装つたのである。次に講演振りであるが、根来氏の学者的タイプ。佐藤氏の志士的率直さには好意が持てたが。久保氏の所説の浅薄にして、態度の軽窕さには唾棄すべきものがあつた。加之しかのみならず久保氏の言行は野性に充ち、甚だしく排他的であつて。指導者と云ふ格ではない。
式場の不備のため。遥拝式、慰霊祭執行法に形態としては勿論、精神的にも欠ぐる点のあつた事は暫く寛舒するとして。新役員達が、聴衆を威嚇的に遇したことは、最も遺憾とするところであつた。
序に事業上の批判を二、三(之れは他人の進言による)

一、初め潜行的であつた同士糾合法が。急に積極的とあり。清濁併合と云ふことになつたらしいが其の為めに諸事混沌として把握不能の形である。
一、支部に支部旗。各人にメタルを配布すると云ふ計画は。徒らに伯国官憲を刺激する外に得るところなき。児戯に類するものである。
一、会の目的が非国民摘発から。大衆指導に転移したのは。一進歩と云ひたいが。出資者に対しては既往を咎めず、或は悪事を曲庇し。共鳴せざる者は、人格者に対しても、悪罵して憚らざる如き。臭気粉々。
A市支部役員任命に就ても。副支部長二名は。昨年迄養蚕して居た者と。ハツカ投資仲買業であつたものを任命して居りながら。敵性産業者は当分入会せしめないと潜称するなど。立派な会名が泣きそふママである。
一、同会の怪ニュースのために不祥事もあつたと聞くが。其の震源地が同会であるとの確証がないから。暫く不問に附して置く。

 

十二月二十日


十一月中旬頃から日本行飛行郵便を取扱ふとのことで。ビリグヰ市では一家十数通を出した人もあるとの噂である。A市郵便局でも弥々いよいよ、十二月二十日から受付を開始したので。私も試みに飛行便二通、普通便一通を発送した。飛行便七、二〇ミルレース、普通便一、二〇ミルレースである。今日迄に当伯国へ到着した手紙は、在米同胞からのものだけであるが。これも総じて家族の安否に関するものだけで、世界戦のことには触れて居ないそふママだ。只一通母国在住椎野氏からの来簡と云ふのが。敗戦母国の窮状を訴へて居ると云ふのだが。之れは偽作として昨今問題にして居ない。私の出した飛行便は押収されるのを覚悟で左記の如く綴った。
西尾大将宛。在伯同胞は世界戦の渦中にあつて、最恵の生活をしました。只特種敵性産業に盲進した一部人のあつたことを悲しみます。現在は、祖国の優位下に講和会議進行中と信ずる一部農人市人と。祖国の降伏を信じて伯国永住を決意してる、多くの有識有産階級と。厭世的勝利を盲信し、之れを否定するものは総べて敗戦組なりと放言する、烏合の大衆。との三途に進んで居ります。我家は、皆壮健にて熱帯農業研究に没頭して居ましたが。平和克服を確信して、今年度は経済的に農業することに致しました。祖国の隆盛を祈り、戦後将兵の英霊に感謝の誠を捧げて擱筆します。」

硬ニュース摘要
在米同胞全部引上完了。其内百七十一名敵性行為により死刑と決定。
日本海軍全米洲を包囲し、経済封鎖のため、北米国内餓死者、日に数千。
日本に敬意を表するため、ゼツリオ前大統領日本へ密航。
在伯同胞は明年七月より送還開始。
軟ニュース摘要
東京市内飲食店は米兵の蹂躝に委せられ。有閑マダムは醜業婦の如く米兵に媚を送る。
ソ連の日本赤化工作に対し、英米は事毎に之れを阻止し、日本は之れに感謝と信頼を捧ぐ。
皇室云々
硬軟両ニュースとも依然として信ずるに足らぬ。

 

十二月二十五日


蓋世至煉の二千六百五年も弥々いよいよ剰すところ数日である。
我々在伯同胞十数年来の懸案は。永住か再移住かと云ふことであつた。

官辺あたりの、お座なりの永住説は別として。一般に有識有産階級と商工業者は。物的生活の安易と云ふことから。暫く精神生活的欲望に眼を閉ぢて。永住と腹は据つたのであるが。然しそれには先決問題がある。それは貨殖の対照たる大衆即ち農人を永住せしむることである。富さへ得れば。永住を飾錦に豹変も出来るし、子弟を文化人に仕立てることも出来るのである。翻つて大衆即ち主として我々農人の立場から論じてみよふ。在伯農人は義人。転人。常人。の三段に大別するを便とする。義人とは母国に於ける指導級の人が、或る義憤のために、天啓を求めて、伯国に農たる人々で。転人とは元商工業者で便宜転向中の人々。常人とは元からの農人である。農人の此国に対する魅力は、一般と同様に。一攫千金と破産再起が可能である点にある。然し之れには無恥であることが必要であることに着眼せねばならぬ。

拓植会社の人々は。投機農業を極力排斥し。愛土永住を強調し、共経営地に集約農法を強要するが。之れは農民の向上心を侮辱する以外に益するところは無い。投機即ちデモクラシーである。各自はデモクラシーを至上とし。農民は牛馬たれと云ふに等しい。統制の励行されてる国家ならば、百姓に投機の必要は無いのであるが。デモクラシー国に於て、生活の向上を欲する以上、投機は自衛上の一手段である。

日系市人は大衆零砕の財を吸収して。都市に文化施設を興すが。之れは細民の福利に縁遠いものが多い。
邦語教育が圧迫せらるるに及んで。農村文化は絶望となつた。

譎詐けっさ、横領、搾取。物的生活に於ては、無恥程強いものは無い。苟くも恥を知の士が。故国を懐ふの情。世界戦の勃発と共に熱烈となりしは当然である。仮りに母国が飢餓に呻吟するとしても。我々同志は万難を排して、南洋に密航し。インドネシヤと握手して、後日を期することに覚悟を定めて居るのである。してや母国の隆盛をや。

結論は案外簡単である。恥無き者は永住せよ。恥を知る者は再移住せよ。勝敗は関するところでは無い。

 

一月一日


世界戦が外交戦に移ママした初の新年である。
昨年八月十四日、母国が四ヶ国宣言受理の勅語を渙発されたと云ふ。放送を最後に。在伯同胞の思想的分裂が、ハツキリと識別されることになつたのである。
勝戦組とか敗戦組とか云つたところで、帰するところは信念である。デモクラシー術の操縦に堪能な人々が「日本は必らず敗戦すると信じて居た」と放言してるのは、或は正直な告白であろふ。そして「祖国の惨敗は日々の放送で斯くも明瞭であるのに、出所不明の宣伝に乗って、勝つた勝つたと空騒ぎしてる者こそ非国民だと」憤慨してるのである。
之れに対向して勝戦組は都市に於て半数強。田園に於て九割を占めて居る大衆である。此内には約一割の上智人が含まれて居るが、大部分は空騒ぎに随し易き人々である。それは人類が宗教によつて慰安を得て居る様に、日本が勝つて居ると信んずることによつて自慰し。勝報でありさへすれば、殆んど無批判に信じて、快とする傾向にある。上智人は悲喜両放送とも、八月十五日以後は、デマ放送と断ずるが、此等を透して、真相の把握に努力し。現在に於ても。祖国の優位の下に外交戦が行はれて居るとの確信を持して居る。
今此三者を再検討するに。敗戦組中の善良なる人と、勝戦組の不良なる人とを比較しても。現在の生活態度と照合して。前者が後者よりも非国民なることは多言を要しない。
其他は推して知るべしだ。
今年の我家は昨年より一層簡素の新年である。
だんご入のお汁粉と、黒大豆の煮豆で祖国を忍んだ。
同胞との回礼は予め断つておいたが、大衆は昨年の凶作に頓着なく、勝戦正月振りを発揮するらしい。
我家の東天の祈誓は、昨年中は毎朝執行したが。今日尚ホ世態は不鮮明であるから、従前通り引続き執行することにした。
尚今年は大胆に庭前で君が代を合唱し遥拝式を行つたので、御稜威みいつが下腹に染みこんだ。

 

一月二日


ナタール[編者注 クリスマス]がすんだら、伯国官憲も真相を発表するだろふと期待したが、新大統領の就任も一月十五日が一月三十日に延期されたとのことだからまだまだ世界の立直しは、程遠い様である。
物資の消費統制は漸次解除され。民間の切符配給制も「白砂糖一品」となつた。物価も昨年に比し、鉄器類は三割方漸減。綿布類は寧ろ騰つたが、食品類は小麦粉を除き概ね漸低傾向にある。
今農年は世態の動揺と為政的渋滞と天候の関係等で。総じて蒔付が後れたが。昨今雨と照りが順調なので。作物は平年作以上との、世上の評判である。今年の農作が不良な場合は、農業全滅が予感されたが、先づこれで安泰と云ふところである。
然し稲の豊作を見越して、新籾四斗入一俵三十ミルレースと云ふ、四十ミルレースの暴落を称して居る。一俵三十ミルレースでは他人を雇つての刈入れは、骨折損であるから、刈り時を逸する人も出来るらしい。
今年の青田貸は三十ミルレースの先売契約で弐割の貸付と云ふのである。
ユダヤ財閥の跳梁を放任してる限り伯国農村は疲弊するばかりである。

 

一月十五日


聖市では敗戦組最後のアガキとも云ふべきか。其人々の密告により。勝戦側各種団体幹部達が一網打尽で六十余各収監されたそふママである。
今日では彼等卑劣漢は、単に敗戦を信ずるに止まらず。敗戦を希望してると云ふのである。
即ち其内の日本帰国希望者は。日本が敗戦して居れば。日貨と伯貨との換算が有利になるし。日本の疲弊に乗じて威張れると云ふにある。
また、伯国永住希望者は。在伯同胞の大部分が、残留を余ママなくされるから。経済的に多々益々利用出来ると云ふにある。
以上の見解は少々酷であるが。少くも敗戦が事実ならば、勝戦組を屈服せしめ得ると考へて居るのである。
ところが不幸にして万に一つ、日本が敗けて居たならば。我等は死出の旅に彼等非国民を連行するであろふ。勝を信じて居ればこそ、容赦してるのが彼等にはさとれぬのである。
アラサツーバ市でも敗戦組が集合して。強気組を投獄するに就ての協議をしたそふママだが。高橋外二名の反対により取止めになつたと。
ボンベイヤ市では、臣道連名の猛者達が、日本国旗を飾つて、新年祝賀会を執行中、伯国警官が踏みこんで、日章旗をふみつけたので大混乱となり、怪我人も出来るし、数名収監もされたが。国旗侮辱者は処罰するとの、上官の言明で。大衆は穏便に解散したと。
其他臣道連名発行、旭新報第四号に「北米より母国へ送還されし人々の内、利敵行為により銃殺されし、五十一名の主なる者、ブトウ王岡本春松、バタタ王故牛島謹治の息云々」等の記事があり。
敗戦組の内には不敬に亙る言辞を弄する者があるとのことであるが。直接見聞したことでないから記録を差控へる。
最近聖市から帰来、敗戦組に転向した知人へ左記の手紙を送つた。
前略。敗戦組の内でも「初めから日本が敗退すると知れて居た」と放言する非国民は論外として。「最悪の場合を覚悟して居れば、事実が鮮明になつた時シヨックを受けない」と云ふ考へ方は一寸妥当らしく観へるのであります。然し此心構へは根本に於て間違つて居るのである。
真の日本人である以上、英米への宣戦は必至であり、聖戦であり、我今生の盛事として、感激に満たされた次第である。斯くある以上は、必勝を祈り、必勝を信じ、自己を聖戦に殉ずる覚悟を堅持して居た筈である。
在伯同胞は母国に尽す道がないと云ふけれども。それは迂愚な話で。在伯同胞は母国に尽す道がないと云ふけれども。それは迂愚な話で。在伯同胞の根本の道は、聖戦の主旨を奉戴して、脚下に実践することである、今日敗戦を信ずる人に、此大理想が保有出来るか。
孜々ししとして蓄財し、母国救済の資に充つると云ふが。之れは二階から目薬を落すよりも愚な考である、之れは貧者の一灯ではなくて。不信仰者の穢灯に過ぎない。
不幸にして母国が滅亡して居たならば、オメオメと敵国の牛馬の如き搾取に甘んずるよりも、他に択ぶべき道はある筈である。
況してや。少くも対等の位置にあつて講和会議進行中なる、反証あるに於ておや。下略

 

二月五日


一月三十日ヅットラ新大統領就任。
二月一日リオ市離宮に於て。アルゼンチン大統領と会見。近々北米大統領も到着の予定。之れは伯国大統領の新任に対する、訪祝を兼ね。経済上の根本的打合せをなすためなりと。
昨年末より行員のストライキにて伯国内銀行全部が、閉鎖中であつたところ。政府の強硬なる声明あり、近々開業する云々。
臣道連盟発行の旭新報第四号までは、大勝デマニユースを吹飛ばして居たが。第五号以後はバッタリ無くなつて、楽屋記事が多くなつた。加入者、七十支部十二万人と云ひ。追々と部内も改善される模様であるが。私としては、其出発点が気に入らぬから、握手できぬ。又、敗戦者とハッカ栽培者と養蚕者は会員とせぬのみならず。之れをブラックリストに記録するため、挺進隊を潜行せしめてるとの噂である。柄でも無い、臣道教育を標榜するよりも、此方が適まり役らしい。
昨年棉作不良なりしため、農務省直轄の採種が充分に行かず。日本農人の希望するテキサス種は一部の人だけで。自分達の入手したのは、早生種であつた。近所の日本人は例年の通り、十一月中旬から蒔始めたが、我家では早生なるため、十二月中旬から蒔付けた。ところが新年以来降雨つづきで。早蒔は根喰虫の被害甚大。且つ花盛りが雨で顆のとまり悪しく。平年作にもならぬらしい。幸ひ我家は見込み通りで、今のところ上出来である。
一般に今年は蚜虫も葉食虫も顆食虫も少く。棉、稲、玉蜀黍とうもろこし、大豆等は満作見込であるが。雨期菜豆、稲作には収穫に雨天の心配があり、棉作には病菌発生の心配がある。
ままにならぬは浮世である

 

二月十五日


今日午前八時を期し、世界的に、世界戦の真相発表との噂で。A市に出かけた農民も多数見受けたが、誰れもそれを聞きあてた人は、無つた様だ。私は序に同時刻の、英京ロンドンBBC放送を聞いた。其内の国際連盟解説と云ふのは、一寸聞けるので其要点を記録する。
新国際連盟は五十一ヶ国の独立国によつて組織され。独立能力無き国は此連盟に託して統括せしむることになつて居る。ところが此連盟内に。ソ連、ウクライナ、ポーランド、ルーマニア、ユーゴースラヴィヤ等を一ブロックとするものと。中南米諸国を一ブロックとするもの等が出来つつある。之れは可否即断は出来ぬけれども、英国としては将来の禍根を醸成するものと考へる云々。日本の委任統括に関しては、媾和会議終了後でなくては、何んとも云へぬ云々。

二月初旬臣道連盟支部長会議を聖市に開催したに就て発生した事件、報道、及び私の感想を記録する。

重要問題として過日収監されし根来理事長以下の出獄工作として。第一隊四名第二隊二十名第三隊百名の三段構へにて、聖市警視庁へ肉弾戦を開始することに決議し。第一隊四名が警視庁へ出頭。連盟の立場や行動に就て総監に直訴。午後十一時まで頑張った結果。遂に目的を貫徹し。根来氏以下出獄せしのみならず。進んで団隊的行動をも黙認せしむることとなり。更に地方官憲の了解を得るため。司法大臣に陳情をなす便宜をも与へられた云々。
(評)以上支部長の誇示する通りならば。先づ大成功と云ふべきだが。其成功にノボせて無抵抗論者を除名するなどは、少々行過ぎである。

即ち内部廓清の筆頭として。無抵抗論者久保顧問を除名することになつたと云ふことだが。同君に対しては。私も一見して其人格を疑った位だから。敢へて惜むべき分子ではあるまいが。地方大衆を収攬し得たのは、主として同君の行脚講演によるもので。此除名処分は少くも、彼等の称する趣旨に反する。

ビリグイ支部は、日本軍北米上陸の盲信で固まつて居たところで。支部長の加藤氏は強硬潔白の人物であると見受けるが。其性格が祟て、本部に敬遠されて居たらしいが。今回の支部長会議には加藤氏は出席せず、代理を出したらしい。これは日本大勝がデマと知れて、会員の大部分が脱退し、加藤氏の熱も醒めかかつて居た。ためではないかと忖度する。ところで今回の肉弾戦を仝支部長代理が回避したので。仝支部を除名することになつたと云ふのだが。之れはまた狂人の沙汰である。或は事実ではあるまい。

A市副支部長●●君が養蚕して居たことが公開されたので、辞任せしめ、後任に●●●君を据へたのは可いとして。ハツカの●●君を其儘にして居るのは、片手落ちと考へる。

聖市日本総領事館は其儘なるも。領事官舎は修繕を了し、原運転手が留守番してるのを、支部長達が実見した。之れは将来日本が伯国を監督する立場になるので、領事館の方は必要としないのだと。臣道側では観測してるらしいが。私は仮りに日本が圧制的大勝をして居ても、聖戦の趣旨に反するから。日本が伯国を監督するなどと云ふことはないと断ずる。斯の如き考は、他日大事を惹起する素因となるから、放言してはならない。

サントスの在庫精綿が、全部上海方面に輸出される事実も。臣道側で見届けた。之れは日本への賠償に充当するものなりとの観測だが。(注、敗戦側では、日本から重工業を奪つて、軽工業を課するための、材料だと観測してる。)私は。現在精綿を消化する絶大能力は上海であるから。綿布の世界的配給を急ぐために、其助力を日本に要望し、其承諾を得た結果だと思ふ。日本は支那以南ジヤワに至る、総べての権益を収容する以外に欲望はないのである。

聖市警視聴総監室には、天皇陛下の尊影が飾つてあつた。臣道連盟肉弾勇士が最敬礼を行ふと。総監曰く。我々も毎朝君達の陛下に敬意を表して居る。地方で国旗侮辱等の問題が突発するのは、下級官吏の無智のためであるから。其場合君達は直接行動に出でずに。告訴すれば必らず処分する云々。臣道側の内では伯国君臨と逆上してる者もあるらしいが。私は。それは総監が、日本人の猪突的行動を緩和するための工作と考へる。
元より日本は勝つて居るし、尊敬もされて居る。と云つて伯国を悔る心が少しでもあることは此際最も戒むべきである。

兎に角、時局に深く関心を持つ様に、大衆を導くことは、可いことであるが。其のために手段を択ばぬのでは。功罪相殺零となり。跡に汚点だけが残ることになるではあるまいか。
之れに乗じて私利を営む如きは論外である。
平野植民地の味間茂と云ふ人が。臣道連盟を。徒らに人心を惑乱するデマの死道連盟だと。
謄写版摺の公開状を、各所に配布し。要求に応じ、何時でも対決或は紙上で筆戦すると云つて居る。
私は一面識もない人だが、正しい人らしく思へるのである。

 

 

三月十六日


一月以来の降雨つづき、殊に二月下旬から三月上旬にかけての大雨つづきで低地の溜水や道路の破壊等が甚しく。野菜畑の被害甚大。雨期菜豆は収穫不能となり、収穫期の稲は立穂の儘発芽すると云ふ騒ぎ。我家の菜豆は十俵の予想が二俵の収穫となつたが。近所の人達は全滅であつた。
棉作にも黒斑病が発生したが。数日前から天候が良好になつたので。我家の棉作には被害僅少ですむらしい。
農産物の新価格も底を割つて。新籾中等品一俵六十ミルレース、実綿先取引上等三十二ミルレースを称して居る。これならば伯国農民も復活の見込が立つ。A市近郊の交通網である、乗合自動車が全部不通となつたので、一ヶ月間出市不能で過したが。色々用事も溜つたので、荷馬車で昨日出市したのである。
伯国新大統領病臥のためゼツリオ前大統領が再任するであろふ、其下準備として一時的に、戒厳令が布かれるかも知れぬとデマが飛ぶ。
昨年末執行された大統領選挙の立候補の人々は全部貴族院議員に推薦されて居り、ゼツリオ氏は其の議長であると云ふから。実質的には大統領であるのかも知れぬ。左記三項の新聞記事は或連絡あることが想像され、且又前記デマとも連絡があるから。近々に世間が明朗になるかも知れぬと、市人達が期待して居る。
漫画ゼツリオ氏チヨン髭にて亀に乗る。附記、二十八日郷里より、リオ港に到着する、玉手箱には何が入れてあるか。(ホーリヤ紙二月二十六日)
米国荷物船ヴィクトリー号リオ港通過一昨日ヴエノスアイレス入港、仝地日本大使館の用件を帯びたる、日本外交官が乗込んだ、云々(ノツサクルザール紙三月三日)
ヴイクトリー号サントス港沖合に投錨、同船には日本外交官、新聞記者、スパイ等二十六名便乗(其氏名は一々発表しあり其内十名程在伯者ありと、私の知つて居るのは古関徳弥氏だけ)。岸壁に横着けになつたら一切の秘密が判明するだろふ(ジアリオ紙三月十二日)
バストス元産組専務理事溝部氏三月七日夜半、拳銃にて暗殺さる。尚ホ翌日支配人畑中氏に対しても天誅を予告せるため。仝氏は聖市に避難せりと。伯国官憲は犯人捜索に対して不熱心なりと。因に、其三日前に仝氏が左記の如き談話を大衆に向つて発表したことが原因であると。談話要点左記、日本敗戦により、海外同胞は餓飢ママ道の母国へ遠からず、送還されることになるのだが。諸君が謹直に伯国産業に邁進すれば、幸ひに在留を認許されることになるだろふ云々。
●●●●君も先日アグワリンパ大衆に向つて前記溝部氏仝様の談話をしたそふママだが。最近に、日本敗戦は私の誤解であつたと釈明したに就て、A市臣道連中の問題になつて居るらしいが。此蝙蝠こうもり氏の言行などに拘泥する方が馬鹿である。

A市青年部、何を血迷つたか。敗戦組の指示の下に。天長節奉祝と云ふ意味で。四月廿日頃。汎ノロエステ野球大会を、A市で開催すべく奔走中。私は個人として左記の警告を発しておいた。
一、 汎ノロエステ野球大会を、アラサツーバ市青年部主催にて、来ル四月中旬挙行とのことであるが。これは時期が悪いと考へる。在伯同胞中。世界戦に就ては要するに
主観的に日本が勝つて居ると信じ、客観的材料の収集に努力中の人々と。
客観的に日本が負けて居る様であると思つている人々との。
二つの観方に分かれて居るのであるが。実情は不明なのであります。
仮りに勝つて居ると信ずる人々でも、大衆を集めることは、此際差控ゆべきである、況してや、敗戦を信ずる人々の計画すべきことではない。
次に昨年度の凶作と金融機関の逼迫のために、現在の農村は死身になつて働いて居るのである。仮りに市人諸君の経済に余裕があるとしても、農村に同情して、多大の経費を要することは差控へられるが妥当である。元よりスポーツ精神の作興と云ふことには賛成するが、それには限度がある。例へば近郊の青年部が日曜日を利用して、小集し、二、三の試合をなす如きは、至極結構である。其他種々の娯楽を、つつましく行ふと云ふことは恕すべきであります。
然し諸君も折角思立つたことで止む得ぬとのことならば。農村収穫期末七月頃まで延期されるがよろしい。
非難すべき理由は多々あるが、諸君の常識に敬意を表して、行文を簡にした。諸君の反省を期待する。

 

四月五日


一、バストス溝部暗殺は敵性産業(ハッカ栽培、養蚕)に関係ありとして。其方面の密告により嫌疑者数名収監されたと。新聞が報じて居る。
一、臣道連盟ビリグイ支部長●●君外二名が敵性産業者側へ、脅迫状を送つたとの出訴により収監されたに就て。●●側では弁護士を介して、之れを否認し、逆訴中とのことである。常識的に考へて、●●側が正しい様である。
一、A市敗戦側へ聖市から。東京市発行の朝日、毎日、報知の三大新聞と云ふのが到着して。又々敗戦宣伝に馬力をかけて居る。私は折悪しく一見の機を逸したが。其新聞を実見した白石君は、確かに偽作物と断じ。其理由を色々の角度に於て談じて居た。其駁説は首肯すべきであり、従つて彼等敗戦信者達の非国民的行為は深酷になつたと断ずべきである。A市在住の元凶は●●、●、●●以下数名であり、彼輩は皇室の尊厳を汚す如き放言をなし居るとのことであるから。世界戦の勝敗如何に関係なく。後日其処理に就て彼等を逸してはならぬ。
一、元教育普及会理事長野村君が去ル四月一日夜半、強硬派に暗殺された。新聞の報ずるところでは、此暗殺団は五人宛五組の壮士により宮腰、古谷、早尾等五ヶ所を夜襲したらしいが。野村以外は失敗した。
一、野村暗殺以来聖市内往来の邦人は全部訊問を受け、外人登録を所持せざる者四百余人収監され。臣道連盟幹部は本部、支部共検束を喰ったらしい。(以上四月三日記)
一、他の都市が騒いで居るに比し、当A市は静穏であつたが。四月四日俄然刑事達の活動となり。臣連A市支部長伊藤君外二名が収監され、五日午前五時の汽車で聖市送りとなつた。A市幹部七名全部が入獄の覚悟で居たらしいが。特に硬骨漢三名だけに止まつたのは。官辺の穏便な処置とも考へられる。
一、臣道連盟主幹が「リオ」市滞在中の日本特派官と会談して。日本の大勝を確知したけれども。同官の命令により公表は出来ぬ』との極秘の内報が支部へ到着したとの噂である。そふママして今回の暗殺は此会見と関連して居り。だから検挙騒ぎは単に形式的であろふと観測して居る。之れは感心出来ぬ話である。
次に大衆は帰国準備として、最近児童の日本語教育に熱中して居る。それは善いことである。
駈歩の大衆は或は私達を追越すかも知れないが。私達は予定通り直進すれば可いのである。
一、最近の伯国新聞は母国報道は中止で。専ら「イラン」会談を報じて居る。ソ連が「アフガニスタン」を基地として印度進出を策するに対し。英米は印度や「シリヤ」の独立を承認し、協力して之れを阻止する工作らしいが。私は「アフガニスタン」に「ペルキスタン」を返還して。局限的にソ連の印度進出を認めるのが妥当であり。そふママすることによつて、欧州諸小国の立直しを容易ならしむべきだと思ふ。
尤も在伯同胞中の勝敗両派共、ソ連を嫌悪することは。ユダヤ財閥以上で。敗者側は母国は英米の番犬に甘んじて、ソ連を強圧することを期待し。勝者側は母国の威力は結局、ソ連を極北に蟄伏せしむるものと予期して居る。
即ち是等の空気が、英米の縁日外交を終熄せしめないのである。

 

四月十四日


臣道連盟検挙騒ぎもやや平静と思つて、十二日A市に出て見ると。臣連本部が家宅捜索を受けて、押収されたと云ふ其の物件の写真が、二流どころの新聞に満載されて。街の話題を賑はして居る。
今回の検挙は約八百人に達したと云ふことだが。此不祥事は半面に於て。在伯日本人の存在を。ハッキリと伯人に認識せしめた点に於て有意義である。
A市同志会長●●君も聖市送りになり。●●老人は帰宅を許された。其他数名禁足を命ぜられた人々があるらしい。
私も遠近の人々から見舞を受けたが。今のところ無難である。老身故敢へて事は好まないが。君子国日本を理解して貰ふに就ての腹案は持つて居る(以上四月十二日記)
伯人の内に。今明日中に日本使節が「リオ」港へ上陸すると。デマを飛ばす者があつて。パライゾ市では日本人数名祝盃を挙げてるところを、検挙されたそふママである。伯国刑事も味を遣るから、油断はならぬ。
野村暗殺は非国民●●某の策動と知れて。臣道連盟幹部総検挙はチト遣り過ぎと云ふことになつたらしい。
然しそれに就て、臣連側では。此事件処分のために、日本使節到着が予定より早めらるることになつたとか。監房で幹部連が太平楽を云ふので、警察側が手古摺てこずつて居る。等の宣伝をして居るのは、感心出来ぬ。
又御尊影と日章旗を並べて。此上を踏めば出獄させると強要したが。誰も踏まないので、数名の刑事が押付けた。私は外部との連絡を執るために。其上を踏んで出獄して来たと。各所に宣伝してる者があるらしいが。之れを材料として臣連側で大衆を刺激してるのは、感心出来ぬ。臣連員で無いならば、之れを踏めと云つて、臣連旗を踏ましたと云ふのならば。理屈に合ふのである。
今回の大検挙には、敗戦者側で贈賄五百万ミルレースを支出したと云ふのはデマとしても。兎に角保護願を出してることは当然であり。臣連ママ脳部は国外追放になるものとして。祝盃を挙げたことは、事実らしい。
昨十三日「ノロエステ」全線に亙る有志者が。プロミツソン駅に集合し。硬軟両派の和解に就て、談合したと云ふことである。私は此事に就て或人から相談を受けたが。断つた、これは両者の妥協で納まる筋合の事では無いのである。(以上十四日記)
今年の棉作は案外不良である。当地方はアルケール百アローバどころらしいが。価格は実綿五級品アローバ三十五ミルレースを称して居るから、昨年より四、五割の騰貴で。農家も愁眉を開く次第である。
概して新山はアルケール二百アローバ内外に達するらしいから。明年は新山に転耕する者が多いと思ふ。然し昨年今年と新山の成績良好なりしは。多雨のためであり。明年は寡雨の歳廻りと判ずるのが常識である。即ち伯国農業を左右するものは運であると称する所以である。

 

四月二十六日


A市に出かけて、其後の臣道連盟対敗戦組の摩擦振りを聞く。溝部、野村、暗殺事件後に、マリリヤ市で暗殺があり。カフエランジヤ市では、硬軟両派の決闘で、軟派一名死亡、硬派自首。其他各所で争議が突発するので。軟派も漸く反省する様になつたらしい。
闘争悪化の原因が、今回の大がかりな臣連幹部検束にあるのは論ずるまでも無いが。要するに、敗戦側の密訴策動と。臣連側の宣伝不良とに責任は帰するのである。尤も野村暗殺は非国民●●某の教唆に困ることは判明したが。其凶行者の心理に。臣連の大衆が反映したことは確かである。
二十日の汎ノロエステ野球大会は、警察署の許可取消しによって中止になつたとのことであるが。元来之れを許可したと云ふことが、官憲の手落ちであり。A市敗戦側、●●、●●、●の輩が臣連に対する揶揄心から思付いた計画と察するが。それよりも青年部主催者、●●、●●の不純性は、後日重く糾弾する必要がある。(以上二十日記)

プロミッソン駅で、臣連、敗戦両派の摩擦緩和策を協議するとの情報は兼ねて聞いて居たが、其決議条項は左の通りであると。
一、今後両派とも勝敗は各自の信念に止め、互に争論せざること。
一、母国外交官派遣の一日も早からんことを請願すること。
一、母国との通信を至急自由ならしむる様請願すること。
一、其他省略、
此決議は至極時機に適するものであるが。其節、次に述ぶる如き工策が附加されて居たとのことで。結局羊頭狗肉の拙策として笑柄を残すに過ぎまい。
最近スエーデン公使館が在伯邦人権益保護の事務を開始することとなり、早尾、森田、両氏が執務することになつた。就ては、スエーデン公使告諭と云ふ形式の。左記事実日本語印刷物を。普く日本人へ知らしむる様、各警察署へ依頼があつたから。親近者へ見せて。「見たと云ふ署名をさして」、来ル二十三日に返戻せよと。A市では硬軟両派各数名へ印刷物を渡された。
印刷物摘要
一、昨年八月中旬、日本の降伏申込を。スヰス、スエーデン両国が英米へ取次ぐ。云々
一、八月十四日天皇陛下より大東亜戦終結の詔勅を渙発さる。
一、九月二日日本代表降伏書に署名云々。
一、米軍二十万、日本々土に駐屯云々。
一、本年一月一日新日本建設云々の詔勅を渙発せらる。
以上の実情に鑑み在伯邦人は謹直に各職業に励み、流言蜚語に惑はず。秘密結社に組みせず。苟くも軽挙妄動に奔ることなきを望む云々 (以上二十一日記)

敗戦者側も。敗戦を悲しむ者。固執する者。利用する者。非国民に四大別して。其行動を監視せねばならぬ。某の告白によれば、一部の強要に、多くの者が追随して居るらしい。A市の非国民級は。●●、●、●●、●●、●●等である。此輩が●●其他を巻添へにして計十名が第一次暗殺目標とされてると称して防衛陣を構成したらしいのであるが。巨連側では、ブラックリスト作成以外に他意なきは。局外者たる私でも保証出来る。
告諭書に署名の要なし、白紙で返せと。A市勤務の刑事が、一部日本人に耳語したとのことである (以上二十二日記)

告諭書に署名せぬことに臣連側では決議したらしい。
(甲) 受命者自身署名、近所の者に無批判で一覧せしめ。署名者だけの回覧と云ふことにして返戻せる人。
(乙) 自身も署名せず、臣連員間に回覧せしめしも、署名するものなしとして返戻せる人。
(丙) 自身は署名せず、敗戦系数名に署名せしめ。臣連員は全部署名を拒みたりと報告せる人。
以上三様の報告振りは臣連側のもので。夫々味ふべきであるが。臣連側では(丙)が好評とのこと。私は(甲)の態度が真面目で志士の風格ありと、観るのである。
敗戦側受命者は敗戦系だけの署名を執って返戻したことは云ふまでもない。
明二十四日からエスペトール(戸長)に農村を廻らせるとの噂であるから。私は其場合は、日本語で意見を附して署名する考では居るが。念のため、臣連幹部へ。阻止の請願をする様に注意しておいた (以上二十三日記)

A市臣連留守幹部の談話。
本日警察署に出頭。デジヨナール(ノロエステ探題)に面会を求め。次記の通り請願した。
スエーデン公使告諭書を農村戸別に回覧せしむるとの噂を聞きますが。不測の弊害あることを案じます。是非署名の必要ありとのことならば。該告諭書に貴官の署名が願へれば。即刻臣連員全部の署名を取って持来いたします云々。
右申請に対し「デジヨナール」は「スエーデン」公使館の依頼で、取次いだまでだから、此件は之れで打切ることにして居る。君等が敗戦を認めない気持ちには共鳴する云々。
臣連側の此交渉は上出来である。 (以上二十四日記)

告諭書問題も一段落だから。弥々いよいよ本日帰山の予定で前川君のところへ、一寸立寄つたところ。敗戦幹部安田某が。両派握手の交渉に来談中。結局、別段派閥的に衝突したことも無いのだから。改まつて妥協の必要も無い。攻めてA市だけは今後とも、不祥事の突発せぬ様に、互に努力しよふと云ふことで納まつた。次に●●君の留守宅に立寄つたところ。本日夕頃●●君が放免されて帰宅するとの電報なので。私も帰山を中止して待つことにした。
午後八時●●君帰宅。仝君は入監中、持病の肝臓が腫れて臥床入院を許すとのことであつたが、頑張つたと。
入監中別段訊問も無く。二十四日放免となり、刑事同行にて監舎から自動車、汽車と云ふ訳で。聖市は素通り。バウル駅下車で、初めて自由行動を黙認され、ノロエステ線では、汽車内の対話も看過して呉れた。云々。何分衰弱体なので深くは聞かぬことにして別れた。 (以上二十五日記)

A市臣道連盟幹部。●●、●●、●、の三君(全部)が放免で、今朝五時の下り列車で帰着の由。臣連員の活気が同市に漲る。皆々英気満々とのことだから。珍談百出とは思ふが私は予定通り帰山することにした。
巷説片々。放免は。日系市民、或は伯人の配遇者、二世(日系市民)の親、或は配ママ者の順序で。二十五日の残監者は二世を持たない既婚者と、母国生れの未婚者だけとのことである。
吉川、根来両氏は未だ放免に到らないので、臣連幹部は出獄を甘受せぬ決議をしたが。両氏の訓話により。穏便に行動することにした云々。
収容場所は思想犯監舎と警視庁附属監舎と二ヶ所で。食事は二回だけだが。間食を欲する者は売店で自由に得られた。起居、娯楽等も自由で。夜はコルシヨンに鮓詰で丸寝した。衛生設備もあり。殊に吉川、根来両氏は別室で寝台も備付けてあつた云々。 (以上二十六日記)

 

 

四月二十九日


午前八時。東向きの内壁に御尊影と日章旗を掲げ、満開の菊花で辺幅を飾つて。稍々天長節らしき気分に幼童達を浸たらせる。
全家族整列、最敬礼、君が代合唱、の順序で遥拝式を執行した。
我家には幸ひ伯人等の闖入者が無かつたが。半里離れた佐藤君の家には、伯人夜警が朝食頃から夕頃まで腰を据へて動かず。折角の祝日が台無しになつたとの話。
正午北米戦闘機が三機、奇音を発しつつ麻洲へ向け、頭上を通過した。此機はA市上空で宙返りなど演じたそふママだ。示威のつもりだらふが洒落臭い。
我家の白菊は一株二、三百の小花を持ち、四月中旬満開し、五月中旬まで美容を保つので。恰かも天長節に奉侍する如くである。
菊作りの人の話では、大輪菊は四季開花するそふママだ。其の人の話をたよりに、今年断崖作りを試みたが。花茎が伸び過ぎて面白く行かなかつた。

 

五月三日


放免された臣道連盟幹部の帰来談を聞くと、二つの流れのあることが感ぜられる。
一つは、官憲が自分等を志士扱にして呉れたことに、率直に好意を持つ人々で。これでこそ臣道実践者と称すべきである。
今一つは、伯国官憲に対し、国威を発揚し得たと自負する人々で。我々先陣は立派な成果を挙げたのだから、陣後の諸君は今後大ひに奮闘されたい。又員外者は此際母国のために連盟に加入して協力ありたし云々。
私達員外者としては。臣連員諸君の意気は壮とするけれども、国威を発揚したものとは思はぬ。精々慈母と駄々ッ児との関係であつたことを想像する。
今回検挙された人達への訊問は主として、「臣連員か否か」「日本は勝敗何れと思ふか」の二問であつた。臣連員には「臣連員だ」の一言ですんだが。員外者は多く拷問を受けたらしい云々。

私感。臣連内部の組織行動等は一応調査済みなのだから。臣連幹部に対しては、訊問の軽易であつたことは異とするに足らぬ。訊問の焦点は。暴行の震源が臣連の別働部か、全然関係なき他の結社か。臣連員の団結の強弱。勝ニュースの出所。或は臣連に入社せざる理由を糺して、臣連の欠点を探る等なので。従つて員外者にして挙動不審なる者を拷問に附することはあり得る訳だ。

訊問開始は刑事数名で。最初の者が。敗戦を認め、日章旗を踏み、○○○を跨いだので。係りの刑事が。此豚野郎と罵つて、蹴り飛ばしママ放した。次の臣連員は、日本は勝つて居る、死んでも国旗は踏まぬと頑張り通した。其人が室に帰つて話したので。衆議の結果、上司に抗議し。其以後は。御尊影の前で虚言はせぬと誓はして、訊問に移ると云ふ形式になつた云々。

私感。此話は筋が通つてゐるから信じてよい。陛下の尊厳を死守した点には。私達も深く感謝する。急遽放免の運びになつたのは。日本へ招致されて居た。ゴエスモンテーロ氏が帰来しての工作だと云ふ説よりも。農務省方面の要求に因ると云ふ説の方が合理的である。
今回の大検挙の費用は敗戦側が負担して居るとか。贈賄費数万コントスとか宣伝してるが。之れは伯国官憲を侮辱すると云ふことよりも、寧ろ其工作を軽視するもので。従つて自己の浅見を表白するに過ぎない。敗戦側の策動は、狂気の沙汰で。之れは別に論ずべきである。
臣道連盟も今後追々と改善されて行くことは、論ずるまでもないが。従来の本部報道は、多くは敗戦ニュースの逆宣伝に過ぎないので、例へば、
一、広島、長崎の原子爆弾に対し。日本軍は沖縄に高周波爆弾を、重慶に高固液爆弾を投下して、一瞬にして敵軍を殲滅。
一、東條大将自殺未遂に対し。マツカーサー自殺未遂。
一、北米軍、日本々土上陸に対し。日本軍カルホルニヤ上陸。
一、マツカーサーが日本政治を監督指導に対し。北米大統領にリンドバークを新任し、北米国民の善導に協力。
一、日本国民餓死説に対し。日本海軍全米大陸を封鎖し、北米国民餓死日に数千。
等々で、私の観察するところでは。在伯同胞が持つ。母国必勝の信念は。斯の如き対症療法的工作によつて、維持されたものでは無い。否な反つて悪影響を生じた位である。
其後引続きテロ事件が続発し、硬軟両派の摩擦は益々深酷化しつつ行く。
スエーデン公使告諭書へ署名の問題も、徐々に農村に波及し、臣連側では。之れに署名するものを、母国に忠ならざる者と睨んで居る様であるが。私は『日本の勝利を確信するが、同時に伯国の治安と隆盛には全力を尽す』と日本語で附記し、其下に署名することを勧告して居るのである。デジヨナールもそれで可いと云つるそふママだし、其運びにした部落もある。
ところで養蚕部落カフエドポリスでは、絶対署名を拒絶し、主立った数名が刑事になぐられて、上訴手続中とか。それを臣連側が支援してるのは面黒い。

 

 

五月二十四日記


テロ勃発の其頃は、敗戦側も色を失つて、護身用拳銃の携帯を請願したり。臣連側に妥協を申込んだりで、騒いで居たが。頃日臣連側が自重してるのを、切掛けた。日本敗戦記事の邦字パンフレットを印刷して。特行隊と称する者おして宣伝さして居る。其目的は、盲信を打破して、祖国日本の降伏後に於ける現状を正しく認識せしむるにある。と云ふのであるが。パンフレット第八、九号を瞥見すると。耕地管理政策に就て、地主の所有限度五町歩を三町歩に改正云々の如き。児戯に類する記事があり。四月二日東京通信と云ふ、超速急の記事もあつて。信を置くに足らぬ。
此宣伝行為は早尾元領事の創意によるとのことであるが。之れに対して臣連側では、支部長級どころは、鳴りを鎮めて、青年推進隊が撹乱防止に努力して居るらしい。
斯くなると従来臣連大衆に嫌厭たりし我々としても、之れに同情せざるを得ざる情勢となるのである。
敗戦側では。スエーデン領事館に日本人部を再開し、森田某が執務して居り。リオ公使館内日本人部には、早尾之領事が執務して居る。と云ふのであるが。それが事実とすれば早尾氏の現在の挙措は当を得て居るとは云へぬ。
又臣連側では。吉川、根来両氏も出獄せりと報じて居るが、それが事実とすれば、警視庁の懐柔工作は、適切とは云へぬ。
以上二件の内。何れか一つでも事実であるとすれば。聖市に出かけて。当事者に面談し。其真相を把握するに就て、深く慮るべき時機に到達してるのかも知れない。
ところで差当りの問題としては、勝敗両論者大衆の往くべき道を指示することであるが。要するに「勝つてる」との信念は、最早や宗教的にまで推進して居るのであるから。之れを一片の談論で打破することは出来ない。そして其信ずる儘でいささかも支障を生じて居ないのであるから。祖国との交渉が開けるまで、お互に穏忍自重して。他を誹議せず、各自の職業に遭進すべきである。
人生は遼遠である。倉卒として、二階から目薬を落す如きことを考案したり。かと思へば青年を支援して、汎ノロエステ野球大会開催を策するなど。敗戦側の人は他人のことよりも先づ自己の修身に努力するが肝要である。
世界的に道義頽廃の今日。各種報道は信ずるに足らぬから。ニユース記録は近来省略してるが。只一つ耳寄りなのは。伯国下院で、在伯日本人を放還し、其代りに伊太利人を移入する案が。提出されたとか、可決されたとかの噂である。

 

六月十日


去月末農産物仲買商のところへ。カフエと米は政府へ何程でも買上げると通告があつたとのこと。それに就て町の話題は。
一、 米ソ戦を見越して輸出統制の下準備。
二、財閥策動抑制工作。
三、農産物価格保証による、農村振興政策。
以上三通りの観測であるが。これは何れをも含んで居る、政策の片鱗と見るべきである。
来ル七月から総べての物資の統制が解除されると云ふことであつたのに。今月に入って、砂糖と塩が小売店から消へ。やがて石油、ガソリンも欠乏と云はれ農村を不安がらせて居る。
五月以来小麦粉の欠乏で、市民はパン屋の店頭に行列をなす状態であつたが、最近マンジヨカ粉やミーリヨ粉も切符制度になつた。
是等物資の欠乏は、財閥が親米派と結託し、現政府の政策撹乱のために、大規模の買占めを、やつて居るからだと。
又実綿相場がアローバ(十五キログラム)五十ミルレースと云ふ突飛な高騰を示したのは。明年度棉作蒔付に向つて農民を刺激すると同時に、買占中の諸物価の高騰に導く。財閥の悪辣手段であるとの観測である。或は然らん。
去ル六月二日脇山大佐が暗殺され。自首犯人の告白が、詳細に二、三新聞に掲載されたとのことである。それによると。暗殺団数名がボンベイヤ市に集会し。宮腰、古谷、脇山、早尾、野村、五名を暗殺することを決議し。最初に殺されたのが野村君である。脇山氏は仝日面会を申込んだ犯人と快く対談中、拳銃で撃殺されたとのことである。
其渦外にある我々としては。其事件に就て軽々しく是非することは慎むべきであらふママ
臣道連盟役員級は再移住地先発隊に、推進隊員は特に恩賞あるものと期待して、大ひに活躍して居る様であるが。仮りに母国が彼等を認むるとしても。彼等を先発隊とすることは妥当でない。彼等は多く都市在住の浮浪性濃厚なる分子か。或は商工業に従事する人々で。農村建設の体験に乏しく。新体制に必らずしも柔順であるとは思へぬ。
農村経営の体験から云へば。敗戦側の人々の内には指導格が、お揃いだが。彼等は腹の底までデモクラシーに染まつて居るのだから。之れも問題にならない。
要するに、先発隊は農村から慎重に選抜し。総指揮官は母国から出動するのが本筋である。
又臣連側では在伯同胞は短期間に全部引上げになるから。動産不動産全部の整理は、母国官憲が一切担任して呉れるものと期待して居るが、此問題は簡単ではない。

第一。伯国から出帆した以後のことは、一切母国に於て貸付或は補助に因つて賄つて貰はなくてはならず、又それは可能と思ふ。
第二。現在地から乗船までの経費は自弁で行くことは、覚悟せねばならぬ。之れは軍に旅費にのみ限らぬからである。尚携帯品には制限が考慮される。
第三。在伯中の個人貸借及び所有伯貨は、全部を母国官憲に提出し。官憲は之れを日貨に換算して、債権と現金には預金券を交付し。債務者より借入証書を徴収して。貸借関係を整理することは可能である。但し外国人との貸借関係は別問題である。
第四。所有土地整理は。位置、地質等、其類別が複雑で。外部の容喙ようかいで整理出来るものでない。之れは建築物、商品等と同様。個人各自で整理すべきである。
臣連側では、母国は外交手段によつて、日本人の所有土地を立会評価の上、伯国政府に買収せしむるものと宣伝して居るが。其心臓の強さには恐縮する。

 

六月二十日


去ル十日ガララッペス市警察署長の通告に応じ参集した、管内在住日本人約二、三百人を、シネマ館に入れて、出口は警官が立番すると云ふ騒ぎ。
やがて瀬上、農田、近田、等敗戦頭領達の演舌があり。例のスエーデン公使館のスタンプある、敗戦宣伝書に署名せしめて、解散したとの話であるが。実に馬鹿げたことをしたものだ。其節敗戦側は「新日本の建設」と云ふ新標語を強調して居たそふママだが。吾々は「正面から反対の出来ない道理で飾られた悪行」と云ふもののあることを心得て居らねばならぬ。
尤も之れは敗戦側のみならず。臣連側にもいささか痛い言葉である。
最近在聖市某君がA市に来ての談話によると。
脇山大佐は吉川中佐、山内大尉と親交があつて、世界戦以来、互に協力して青年指導に志して居たところ。吉川氏はマリリヤ市の養蚕室放火事件に連座して入獄。兎角する内に昨年八月十四日の詔勅渙発のことから。脇山氏は敗戦を信んずるに到つたので。山内氏と義絶することになつた。今年二月出獄せる吉川氏は思想が過激となり。臣道連盟党勢拡張に悪辣手段を執ることに到つたので。山内氏は遂に臣連と絶つて、別に在郷軍人会を結成した云々。
之れは信ずるに足る話と思ふ
臣連員の内には所有土地を売つて、明年の農作を中止して、使節の来伯まで、町で遊んで居様と云ふ人々がボツボツ増して行く。此人々は「我々こそ真底から日本の大勝利を信ずる者で。明年の農作を計画する人などは口先ばかりの勝戦論者だ」と放言して居るとのこと。
又マリリヤ市の暗殺犯人は警察の訊問に対して「天皇陛下の御命令で誅した」と答へたそふママで。臣連側では当意即妙の明答と喜んで居るが。此等の言葉が日本精神を聖徳を汚して居ることに、心付かない程に、彼等は率爾者で、寧ろ憫れむべきものか。

 

七月一日


先月末発行の臣連情報を某方面で瞥見したが。実に児戯に類するもので。之れを大衆が信じて疑はないのかと思ふと。慨然たらざるを得ない。
一、 国際紙幣を日本が発行して、北米では既に流通されて居る。伯国にも既に到着して居り、来ル九月から現行伯国紙幣と徐々に引換へを開始する。
一、 日本近海最後の海戦に出動せる一万余の飛行機は富士山麓の地下に隠蔽されてあつた云々。
一、 日本艦隊は島嶼とうしょの如くカムフラージされてあつた。云々。
一、 最後に九十九里浜沖に来襲した。英米連合大艦隊の殲滅せんめつ法は。予め据付けてあつた海岸の超高圧陰電気極と。一万余の飛行機が、英米艦隊の沖側へ投下せる爆弾に装置しありし、超高圧陽電気とが、飛合する刹那に。其中間は火の海と化し、一瞬にして全艦隊は沈没した。
以上は抄録であるけれども、ザット斯の如くである。
次に最近瞥見した敗戦パンフレットで。第十一輯中の毎日新聞四月二日記事抄録と云ふのに。
日本既還の百四十万人、これから帰還する運命にある五百五十万人の上に待受けるものは、政府の無策と、国民の冷遇であるとして。悲惨の実例を挙げて居る
デマも此処まで来れば、一笑に附するだけではすまされぬ。
又スエーデン公使館へ到着した、日本外務大臣吉田茂の告示。と云ふのが配布されてるが。之れにも打込むべき隙は多々ある。
以上の如く硬軟デマ放送が錯綜するので。日系農民の明年度の生産計画が歪曲され。奥部から真相に就て質問を受くるので。私事上にばかり拘はつても居れず。弥々いよいよ万障繰合せて来ル十日頃聖市行と決めた。

 

七月七日


今日は今世界大戦の発端をなしたる大切な記念日である。
やや信ずるに足る最近のニユースを二、三抄録する。

一、警視庁の日本人大検挙仕末に就て。調査書三千余件。其内、●●●●は国外追放。臣連幹部其他の収監者中、日系伯人或は日系伯人を子弟に持つ者は、起訴猶予として釈放。尚在監中の八十余名は有罪と決し一件書類を司法部へ回付云々(ガゼツト紙六月三十日記事)
一、在伯日本人の平和工作として、伯国政府より日本へ交渉の結果。日本使節五月二十八日出発七月中旬頃伯国着の運びとなつた。(トツピー局放送)

 

十日

午後十二時三十分アラサツーバ駅発。朝寒のためか客車は一、二等共三割位の乗客である。ゆっくりとして気分よろし。ペンナポリス駅から兵士三十名程乗ったので騒々し。
午後八時過バウルー駅着、以前と別段の変化なし。
カリンボを受ける必要なきため、早速ホールでレイチカフエを二杯飲む、計三〔ミルレース〕。汽車弁当は八〔ミルレース〕でも不味であったが。これで腹中がおさまる。午後九時乗車[、]既に満員で新乗車のため、二等車一台連結せるも尚ホ納まらず、自分は廊下に十名ばかりと立つことにする。三ツ目の駅で電力列車に乗換へる、広軌故気分大ひによろし。

 

十一日

前一時過イチラピイナ駅着。其儘でよいものを慌しく降り人に注意されて、又乗ると云ふ。赤毛布振りであったが。漸く狭ひ座席に納まる。
午前五時過ルス駅着。駅前でボーイを運転手と間違へて五〔ミルレース〕要求され。トモベ料も〔二十ミルレース〕取られた。
エビス旅館宿。相宿人高口氏は元ビリグイ精綿マキナに勤務されたるブラスコット員なり
ハッカ栽培や養蚕の敵性産業に就て、無遠慮に其真偽を正したるは一寸気の毒であった。
大河内氏訪問、別段の意見はなかった
夜、日伯裁縫学園の郷原氏訪問
一応帰宿の上、土居氏達は午後九時の列車で帰宅の途に就くとのことで別袂ママする。
其ドサクサ時に北米邦字新聞購読勧誘員と衝突したのはづかった様であったが。或はよかったのかも知れない。

 

十二日

スエーデン領事館日本人部を捜す、家だけはのあらゆる器具が備へ付けてある。日本人は競技が専ママ的に傾く癖があって。体育の根本を逸脱する様に思はれてならなかった。今はそうふではあるまい。然し在伯邦人にはスポーツ精神に於て、伯人に劣る様である。兵営から袖無シャツとパンツだけの兵士が二十名ばかりラグビー競技場へ列をなして行く。早朝のことで私は毛織チョッキに厚ママのオーバーまで着こんで居る寒さなのである。
こんなところにも、敗戦を信んずる自卑心が、芽ぐんで居たことを思ふ。
日伯裁縫学園の学生である娘さん達の純真で優美なる容姿には、日本流の白粉無しの率直さとは又別趣のものを感ずる。
聖市は絶へず、偉容を進めて行く。十階以上の高層建築が続々と増加して。今日では少々煩はしく感ずる。客用自動車が無数に錯ママして其又スピードを出すことなど、数年前とは隔世の感がある。

 

十三日

鈴木南樹氏が古谷さんに紹介すると云ふので、中矢に行って見たが音沙汰がないので。断念して、エビスホテル主人に案内して貰って。スエーデン領事館日本人部に行く。森田君は病臥中とのことで。青年が二人執務して居り。所謂スエーデン領事館員らしき人も一名居た。戸籍事務等を執って居る様であった。元よりインチキではないが、敗戦を確証すべき印象は残らなかった。
午後は郷原氏を訪問し、山内氏の居所を聞いて、其方面に向ったが。伯語不通のために電車を中途で降りたりして捜索。漸く午後四時過目的地に達したらしかったが。折悪しく暴風雨となったので。断念して帰途に就く。目的は達しなかったが、電車乗度胸が出来たので、骨折損と云ふ訳でも無い。
帰宅したのが午後四時半であったから。日本人部で偶然逢った、石原君のところを尋ねた。日本人救済部の事務所になって居るらしく。以前矢崎氏が開店して居た広壮な住宅である。
宮腰氏が石井大使の依託を受けた二百コントスの救済金のことから、カトリックの牧師さんの預金と云ふことにして。石原氏が主任、渡辺が庶務、高橋勝君が会計となったこと。東山、蜂谷、海興、ブラ拓、等から二百コント寄附予約のところ資金凍結のため百五十コントだけ受入れたこと。カトリック教主からとして五十コントスの寄附を受けたこと。現在毎月五コントの予算で救恤事業をなし居る云々。
其真率なる態度には嘘はないと感ぜられた。

一、次に臣道連盟のニュースに欺かれた経緯に就て。委曲を聞いたが。首肯する点が大いにあった。尤も八月十九日までは。ノボル部隊放送局と云ふものがあって強ニュースを放送して居たのは事実で。上海方面にあったと想像する。此放送を基礎として、誇大に●●君等が宣伝して居たことが。後日に発見された。臣道連盟が悪質になったのは吉川中佐が入獄中に、●●君等数名が策動する様になって以後のことで、初めの支持者は●●君の実兄●君である。根来君は元日立鉱山の技師で東山の雇員であった。久保君は北米の神学校を卒業したと云ふことで、日本の学位は無い。●●は伯国軍部の憲兵部に勤務して居たので。軍部に臣道連盟を承認する様斡旋すると云って臣連から収賄して居たと云ふことである。
一、脇山氏を暗殺してから。勝敗に関係なく聖市では臣連の信用は地に落ちた。少くも臣連の宣伝が反映してると云ふのである。
一、古谷氏は云ふまでもなく、宮腰氏も早尾氏も他意は無い。只群衆心理を無視するところに欠陥がある。
一、ビラツキ奥地の森と云ふ人外一名が暗殺され。其家族等五人負傷したと云ふことが新聞で報じられて居る。此消息はA市臣連幹部にも予知されて居た様な気がする。
一、臣連幹部が各支部より醵出せる金銭を私生活に費消してることは事実だが。私営業に利用してることは無いらしい。
一、リオに日本飛行機の来たことも。海軍将官と憲兵一名が滞在してることも事実だと、臣連外の人も云って居る。
一、軟派では明年四月に日本外交官が来ると信じて居る。
一、現在。伯国に外交官の居ないのは。日本と独逸とだけらしい。
一、臣連幹部が南洋の土地を売って居ると云ふのはデマらしいが。第一回還送組に斡旋すると云って寄附金を収受してるの事実であるらしい。
そして幹部達は宅地等まで買って居ると云ふ事である。

 

十四日

一、アルモッサ後電車で昨日見込をつけた方面を捜索すると幸ひに山内氏の宅前に出た。同所は郊外文化住宅地で。日本人が集団して居た。
山内氏と面談の結果、左記の事実を知ることを得た。
一、脇山大佐。吉川中佐。山内大尉は仕官学校十三期生である。
(脇山大佐は中学校から。吉川中佐は教導団から。山内大尉は幼年校から)
一、世界戦になると間もなく右三氏が中心になって赤誠団を組織し。マリリヤ丸山、リンス権藤、バストス中山の諸氏が奔走して居た。其内吉川氏はマリリヤ血盟団に連座して入獄。脇山氏は一時バストスに退いたので。山内氏が中心となってノロエステ南部及パウリスタ延長線の在郷軍人に呼かけ、之れが中心となって約六百人の会員が出来。吉川氏留守宅其他幹部達の生活を保障して居た。昨年五月頃会員尾崎君の提案で、臣道連盟と改称することになり。庶務一切を久保、根来、外数氏に一任することになった。(根来氏には学位はないが。鉱山技師として転々して居たらしい。久保氏は青山学院の中等科を出て北米の神学校を卒業して居るとのことである。)
一、伯国から母国官憲退去の節、宮腰氏が邦人救恤事業を依託された経緯は昨日の日記の通りであるが。海興、ブラ拓、ブラスコット、東山、東綿、は毎月醵出五コント宛。蜂谷、羽瀬等が三コント宛、日本人会等は一時寄附と云ふことにして。石原主任、庶務渡辺儀平夫人、会計高橋勝、で処理して居た。
一、其頃聖市日本人会は。臣道連盟、在郷軍人会、聖愛日本人会、聖愛婦人会、中道青年会等六団体で全伯で六十三あったと云ふことだ。
一、吉川氏第二回入獄から放免される頃になって。山内氏が気がついて見ると、根来氏一派の不正行為が顕著になったので、吉川氏の出獄と同時に、山内氏は脱退し、在郷軍人同志で一派を立てたが。吉川氏は病気等のために之れと絶縁することが出来なかったらしい。
一、硬軟両派の摩擦の興ったのは。使節到着のデマの飛んだ頃からである。真偽を確めにリオ港海岸をウロウロしてる日本人二名が保安課につかまって身体検査をすると。日章旗其他が出て。使節歓迎のため聖市に多数の日本人が出動してることが判明した。そこで、早尾、宮腰、古谷、数氏が保安課に呼ばれて。日本人の軽挙盲動を戒め。警察沙汰にならぬ内に早く解散させる様注意された。早尾氏は森田君に宮腰氏古谷氏と協力する様伝言した。
一、宮腰氏達は聖市に帰って。常盤ホテルに有志を集め懇談会を開催したのだが。臣連や在軍の幹部は出席しなかったらしい。
宮腰氏の話は「日本は無条件降伏ではあるまいと思ふが。ママ急に使節等の来伯はないから、穏便に家業に精進して時期を待つがよい」と云ふ意味で、古谷氏も同様であった。
ところが。木下政夫、下元健吉、野村忠三郎、藤平等は日本の敗戦は明瞭だのに。指導者が曖昧な態度をとるから、大衆がデマ宣伝に乗せられて。在伯邦人全体の不幸を見ることになる。と云ふ意見で。結局地方から出聖する人々に自然に諒解が出来る様応酬する外は、あるまいと云ふことで解散した。
一、ところが臣道連盟が大々的に潜行運動を興すに到ったので。オールデンポリチカ[編者注 社会政治保安部]の再注意により、宮腰氏は止むなく。青年級を集めて、コチヤ産業組合集会所に於て。所謂勅語翻訳敗戦宣伝の端をつくったのである。其手段は拙劣であったが。全在伯邦人の平穏を雌伏によって得んとしたものである。
一、一方臣道連盟は。日本は勝って居る。此栄誉に対して在伯の我々は、何等尽すところがなかった。せめて四周より迫り来る敗戦宣伝に拮抗して。勝戦の信念を確守し。日本人の意気を伯国に誇示しよう、と云ふ考慮から出発してると思ふけれども。大衆を指導する手段に非難すべき点があり。本部の幹部級に私利を営む傾向が起った。
一、そこで保安課で其真相を捜索中。溝部、野村暗殺事件が突発したので警視庁の英断を以て一網打尽の荒療治となったのである。
一、折柄農産物収穫期になったので、農務省の希望により、地方の者で比較的温健な者は不起訴釈放した。やや過激な者も伯人二名の身元保証で保釈となった。残余の八十余名は裁判中である。
一、野村暗殺は●●の教唆であるが臣連幹部と●●との間に交渉のあることは保安課に証拠が挙って居る。
一、臣連後援弁護士背信の件は大衆から醵金せしむる逆宣伝が含まれて居るし。連盟認許手続をなさしめたのは。内部探察の為めに保安課が利用した策略であるらしい。

以上の記録は。山内氏、石原君、郷原君、其他二、三の人々からの聞書である

一、当方から手紙は出せないが、日本からの手紙が来ることになるらしい。

 

七月十五日


午後三時過、石原君に連れられて、元アルゼンチン公使古谷氏に面談した。
仝氏は温厚な君子人らしい容貌の人であり。私の進言を真面目に聞いて呉れられたので、訪問した甲斐があると思った。
私の進言は左の如きものである

一、世態の不安な時には大衆が迷信的になる
一、迷信の打破を高圧的に行ふときは潜行的となる
「大本教」「人の道」が打破されて。「生長の家」が台頭した如きである
一、勝ってると云ふ信念は既に宗教的になって居る。臣道連盟の地方幹部には「生長の家」の信者が多い。其教書に日本は神の道を拡めるために全世界と戦ふことになり必らず勝って全世界の指導者になるが、最後の間際にデマが飛ぶと云ふ様なことが北支事変頃に予言してあるのである。
一、群集心理を無視しては大衆は指導出来ぬ
一、派生ママ教の教主が多く不純である如く、臣道連盟幹部も不純であった。
尚又一時馬鹿騒をしたのであるが、今日では一つの慰安即ち「勝って居る」と云ふ信念の下に落ちついて家業に就きつつあったと私は観察します。然るに機逸すべからずとでも考[え]られたのか。敗戦パンフレットを頻発されたので。それに刺激されて、彼等もデマを乱発する様になった。私は敗戦パンフレットを発行さるる動機も、其人々も善良と信ずるのであるが。地方敗戦信者は之れを悪用してる。彼等は之れを振廻して威張り出した。敗戦を信ずる者が増加したとの報告があるならば。それは間違ってる。以前には遠慮して居た者が公然と態度を鮮明にしたまでである。今後起る不祥事は此パンフレット悪用の結果と見るべきである。
一、早尾氏の発布された告示には非難すべき点が二、三ある。今後は一字一句といへども細心留意さるる様御願する
此告示の前に。何月何日から日本人権益部が斯々のことを取扱ふ。と云ふ日本語告示を公布されたならば其効果は数倍であったと思ふ。それは中絶したと大衆が思って居るから。
一、新聞抄録輯は中止さるる様御願する。元来新聞の性質として其報導は必らずしも正確でないし。今日企図するところに合致するや否やの選択は至難のことである。一歩を誤れば反って逆効果を現はすのであるから。寧ろ無い方がよろし。
一、都市の人と違って山間にある農民は「日本が負けて居る」のでは事業が痿縮する。其主なる原因は、無智な伯人の盗癖を防止する気魄を喪失することと。何時政府に蓄財を没収され[る]か知れないと云ふ杞憂のために。
一、急げはママ廻れと云ふ格言の如く。母国へ献品のことも、指導者は隠忍して時機の到来を待つ外は無い。貧者の一燈と云ふこともあるのでありますから。先づ敗戦を信ずる人々の醵金だけでも送って、其成果を公表されるのも一策と思ふ。
一、聖市に来て見ると。臣道連盟幹部の醜状と敗戦を信ずる幹部の人々の善良とが鮮明されてるので殆んど八割は敗戦を信じて居らるる様であるが。奥部に入る程。其人格も又数に於ても恰度ちょうど逆になって居ることに留意されたい。

尚私の質問に対する説明左の如し
一、独逸と日本だけの外交官が在伯しない[と]云ふのは事実か
 然り
一、SUECIAとSUEDEとの二つの呼称あるは何故か
 前者は葡語で文書に載せるもの、後者は仏語でスタンプ等に尚用いられる
一、敗戦パンフレットを公布する理由
 伯国保安課よりの注意により、一日も早く真相を知って落ちつかせたいから
一、日本降伏祝祭が執行されぬ理由。
 それは伯国政府の好意によるのである。

出聖以来左の不祥事を聞いた。
一、ビラツキ町で二名暗殺され。其奥で五名負傷内二名死す
一、去ル十三日下元氏が暗殺犯人と闘って双方負傷収監
一、ビリグイ市にも暗殺事件があった。

 

十六日

一、午前十時日本人権益部に行って、昨日記述してある意見書を早尾氏に届ける様依頼
森田君のところへは敗戦宣伝員が数名押かけて居た。
母国の知人から通信の来る様斡旋するとのことで依頼して置く。
一、アルモッサ後。坂井田さんを訪問して。勝敗に関する所見を聞く。
概ネ私見と一致して居る様で、意を強くした。最近ニューヨークタイムスに。内部会議が行詰りだから、日独との平和会議は延期せねばなるまいと論じて居るから。真相の判明は猶前途遼遠との意見であった。
白石君には事業を焦らず。静観して居るがよい。時機到れば直ちに通信するからカイシャを毎日見に行く様にとの伝言であった。
謙虚な令息に送られて帰宿。
デパートに土産物を買ひに行く。売子の娘さん達は以前よりは親切である。
電車が以前の通り。料金を受取るだけで切符を渡さずに、只数が標識に現はれるだけであり、乗る人が進んで料金を払ふ点には感心の外はない在伯日本人には、之れだけの社会通徳は訓練されて居ないと思ふ。