「天皇の勅使への陳情書(案)」 今井正次郎関係資料 94-2-2
陳情書
謹みて顧るに 聖戦拾年に亘り、上御一人を始め奉り一億の同胞打って一丸となり、あらゆる艱苦欠乏に耐へ、万難を排し、真に挙国一致、乾坤一擲の大覇業を成し遂げ、茲に始めて肇国の大理想八紘一宇の大精神を世界に宣布顕現せむと為すに当り、我等在伯同胞は事情不止得といへども、日本臣民として祖国未曾有の国難に赴く不能、君恩に報る事を得ず、徒に切歯扼腕して、唯々祖国の戦勝を祈るに止まりし運命を恥ず。
今や大捷我れに帰し肇国の大使命を実現せんとするに際し、戦後日尚ほ浅く、国事益々多事多端なる折柄海外同胞の上に深き大御心を垂れ賜ひ、今茲に御使節を賜ふ、我等衷心より感謝感激に堪へざるなり。
我等在伯同胞待望久しき御使節を奉迎するに当り参拾万同胞等しく挙げて奉迎なすには余りにも忸怩たるものあるを悲む。
茲に戦時中並びに戦後今日に至る在伯同胞の実状を開陳して御使節の参考に資するは我等の義務なりと信ず。
然るに事、重、且つ大にして、無学菲才我等の元より其の任に非らざる事を知ると雖も、所謂識者の多くは非国民的存在にして、適任者と思はるる者は
今次の大戦勃発するや、暫くにして当伯国は連合与国として参戦するに及び、日本帝国外交機関の引揚げを見るに至り爾来祖国との通信、交通機関杜絶し、祖国の消息を知る術なく、僅かに少数のラヂオのみを頼りとし祖国の事情及び戦況を、而も断片的に知るを得るに止まる。
帝国外交機関の引揚げに際しては敵国内に残留すべき参拾万同胞に対し適当なる指導方針を示す事なく、亦適宜の措置を
今茲に当時の外交官の責任を問ふの要なしと雖ども、若し当時の外交官にして適切なる指導方針を示し得たらむには現今の如き在伯同胞の思想上の混乱及び骨肉相喰むの醜態は防ぎ得たるなるべし。
帝国外交官より何等の指示さへ受けず、亦残留せる同胞中の指導的地位に在りと思考さるる人々よりも何等適当なる指示さへなく不止得同胞参拾万は各自の意志に従ひ従来の職業に精励し伯国政府に柔順に伯国民との間に感情の衝突を来す事なき様、而も我が日本の国威を穢さざる事に勉め而して日本国民の衿度を失はず、徒に軽挙妄動して祖国に迷惑を及ぼさざる(事なき)態度をとりてこそ大御心に沿ひ奉る所以なりと信じられたり。
然るに戦闘日を追ふて酣なるに及び、我等敵国人に対する伯国官民の感情は逐次悪化し、先づ日本語の使用を厳禁し職業を限定し、旅行を制限するに至る。
元より之等の措置は敵国人に対して当然なりと為すも、日本語の厳重さは家庭内にも及ぼし、誠に非常識なりと思はるる程度にして少しの異反と雖とも容赦なく処分し、之が為めに、罰金、投獄、殴打、侮辱等の厄を蒙らざる日本人は稀れなりと謂ふも敢て過言ならず。
都会地居住者中には職業を奪はれたる者あり。店舗を閉す者あり。殊にサントス港及び其の附近在住同胞は突然急遽立退を命ぜられ、皆僅かに身を以て脱れ奥地同胞身寄を頼りて避難し、其の財産は没収同様の状態にて戦後今日に至るも返還を受けず。
奥地の旅行は危険を伴ひ、市街地へ買物に出る事さへ困難なる状態となり、殊に伯国政府は如何なる流言蜚語を信ぜしや、同胞が護身用若しくは狩猟用として正式の許可を受け所有せる銃器類を強制没収するに当り、各邦人集団地に於て行はれたる警察当局者の態度は全く非文明非合法乱暴狼藉を極め、武器を擬して威喝、強迫、殴打、侮辱、を加へ、少しの弁明さへ許さず、自由に家宅捜索を為し、日本語の書籍雑誌等苟も日本文字あるものは悉く之を没収し焼却し、殊に畏くも尊貴の御尊影に対し奉り凌辱を加へ破棄する等、言語に絶する野獣の如き暴虐を敢てし、一般民衆も之に雷同し、奥地在住同胞は其の生命を脅さるる事頻繁なるに及び、遂に各地の同胞は其の圧迫の甚だしきに堪え難く、万一之以上官民合同して同胞を圧迫し生命に及ぶ場合は自衛上不止得各植民地一致団結して身を守り、万一の秋至らば野獣に等しき伯国人の凌辱を蒙らむよりは全滅して寧ろ国難に殉ずべしと謂ふ悲壮なる覚悟を抱かしむるに至れり。
(中略)
昨年八月中旬今次の大戦終結するに至るや一般官民の感情やや趣きを異にし従来の如き暴挙は漸く其の跡を断つに至る。
然るに今次の大戦の終局に際し其の勝敗の不明瞭なるに因を発して、同胞間に於て、祖国の戦捷を確信する者在り。亦反対に祖国敗戦を信ずる者を生じ、或ひは又祖国の勝敗は我れ敢て関せずと云ふが如き非国民あり、母国の同胞ならずとも全く唖然たらざるを得ずと謂ふ有様なり。
日本の海外移植民殊に伯国移民史は僅々四拾年の短日月に過ぎず、而も斯くの如き短年月に於て斯くの如き現象を見るは何が故なるや。為政者の深く研究すべき重大問題たるを失はず。
仮令認識不足なるにもせよ日本人にして祖国の敗戦を信じ称え、而も敗戦は当然の帰結なりと極論し最も甚だしきは天皇を誹謗し国家を冒涜し敢て恥とせず、之を内外人に宣伝力説なすに至りては、日本人にして日本人に非ずと断ずべきなり。
斯くの如き国辱的言動を弄する者は昨年八月下旬以降戦争の勝敗不明瞭なるに拠ると雖も亦深く之を考察すれど平素抱懐せる思想の如何に依る事を知る。
彼等敗戦論者を調査して左掲の事情を知り得たり。
一、 渡伯前充分なる日本教育を受けず、社会的智識を欠きたる者。
一、 幼年にして渡伯し日本教育を受けざりし者。
一、 内地に於て普通教育を受けたるも社会的智識に欠けたる者。
一、 以上三者共も渡伯前日本の国情に暗く、尚ほ又過去の日本内地に於ける一般日本人の通弊として欧米物質文明に眩惑され日本の文化は到底欧米列強先進国に追従しなし難しとの誤りたる観念を持つ者。
一、 国体の観念に乏しく国家の恩恵を弁へぬ者。
一、 日本の完璧せる軍備、及び経済的実力、驚異的発達進歩、を遂げし日本の科学、工業、を認識し居らざる者。
一、 日本の社会制度に何等かの不満を持つ者。
一、 日本の過去の世相に依りて培養せられたる日本人独特の個人主義利己主義の思想を持つ者。
一、 渡伯前内地に於て経済的若しくは其の他の理由に依り極端なる圧迫を蒙りたる者。
尚ほ又敗戦を主張する者の大部分は其の社会的地位及び物質的に恵まれたる者にして、之を思想的に見れば、総て個人主義、利己主義の権化ならざるはなく、自己あるを知れど国家の恩恵を知らず、最も甚しきに至りては、渡伯以来数十年間国家の恩沢に浴せし事なし、自己の今日の栄達あるは自らの努力に依るものにして国恩に拠る所更に無し、等の暴言を吐く者を聴く。
(中略)
抑々彼等が敗戦を確信するに至る動機及び理由は其の印刷頒布せる宣伝文書に依って明なれど之を摘記すれば先づ第一に連合国側の発するデマ宣伝を信じ且つ又昨年九月、日本政府より発送せられたりと称する敗戦に関する詔勅に負ふ事多し。
連合国及び伯国諸報導機関は我か日本の敗戦を強調し日本の無条件降伏せる事を宣伝し今日に至るも敗戦と侮日の記事を見る有様にて、而も伯国政府当局は戦争の結果に関し沈黙を守り為めに一般伯国人は日本の敗戦を確信するに至れり。
伯国の国情斯くの如くなるに依り敗戦論者は愈々祖国敗戦の確信を得たるものの如く益々敗戦を強調力説宣伝し、戦捷を確信せる同胞を指して、無智にして頑迷世情に暗く而も詔勅を信ぜぬは非国民なりとの攻撃を浴せ、不忠不義の臣なりとなす。
亦彼等は斯くの如き言をなす。
日本は過去に於て日清、日露の役に大捷を得たる事に依りて自惚を生じ、日本の国民は如何なる強敵と雖も戦へば必ず勝つとの無謀なる信念を国民の上に植付けたる日本軍部の責任であり暴挙である、歴史を見よ、日露の戦役は国を挙げて辛じて勝利を得たるに過ぎず、又日本は長期に亘る中国との戦争に依り非常なる国力の消耗及び物資の不足を来して居り、支那一国にても持余すにあらずや。
然るに無謀にも世界最大強国たる米国のみならず、疲れたりと雖も世界有数の海軍力を保有せる英国を併せ仏、蘭、支の連合国を相手として彼れが精鋭に対し我が労を以て戦端を開くに至っては日本軍部の自惚も極れりと為す。
又彼等は謂ふ連合国は総て世界の先進国にして、其の進歩せる科学、工業の点に於て、其の保有せる物資の量に於て、軍備の点に於ても人的資源に、その他総てを比較研究して到底勝算無き事瀝然たりと、尚ほ又戦績を考察することに依りても敗戦を証明することを得と。即ち最初日本軍に依りて占領されし南洋方面根拠地は順次米、英、連合軍の奪還する処となり、遂には硫黄島を占領され、沖縄本島を敵の手に委ぬるに至り、本土の爆撃は愈々猛烈を極め日本の大都市重工業地帯にして大損害を蒙らざる所なく、而も日本の海軍力は彼のソロモン群島方面の戦闘に依り殆と全滅し、沖縄及び硫黄島の策戦にも其の影を見せず、最後に至り、露国の参戦及び米国の投じたる原子爆弾の猛威に恐怖を生じ、遂に日本国民は戦意を捨てて国家及び民族の再興を計るが為めに連合国の勧告に従ひ無条件降伏せるものなりとなす。
(中略)
而も甚しきに至りては日本軍閥を誹謗し皇軍を侮辱し日本の社会制度を呪詛し、天皇制を排撃し、畏くも両陛下に対し奉り日本国民とは認め難き最も不敬不遜の暴言を吐くに至りては、我等日本臣民たるもの倶に天を戴く事不能るものである。
斯くの如き誤れる観念に基き祖国の敗戦を称へ善良無智なる多くの同胞を惑す傾向次第に濃厚となるに及び、在伯同胞中一部の愛国者は之を憂へ慨嘆し、在伯参拾万同胞の蒙を啓き之を匡救せんとして一大愛国運動を起せり、即ち臣道連盟其他等、之等の愛国団体の説く処は、祖国日本の大捷を確認し其の拠て来る処を知らしめ、而して来るべき祖国日本の世界的地位を教へ、肇国の大理想大使命たる八紘一宇の大精神を悟らしめ、大和民族の持つ使命を完全に会得せしめ而して日本臣民の践み行ふべき道を教へ導き、善良なる皇国臣民となりて祖国の大政に翼賛し奉るべき目的主旨を持つものである。
元来是等の愛国運動は昨年八月中旬大戦終結後に於ての勝敗不明瞭なるが因を為し醸成せる同胞思想上の大動揺を防圧せんとして起りたる国民運動なれども、是れより先き戦時中祖国に対し不利益なりと思考さるる敵性産業に従事するものあり。自己の利益にのみ汲々として、直接間接に祖国に叛く行為なる事を知らざる同胞あるを慨嘆し、憂国の士は諸種の方法を以て之か防圧運動を為せるも、その効果なく莫大なる利益に眩惑され且つ又伯国政府の保護奨励と相俟って益々其の数を増し従来の産業を放擲して敵性産業へ転更する者続出の有様にて今日に至る。
之等敵性産業従業者は祖国へ不利益を及ぼす事を知るもあり知らぬもあり何れも其の不所存を説けども肯ぜず、利益の前には祖国の難を顧みず、自己ある事を知れど国家あるを知らず。
若し彼らの心中に日本国民の特質、日本国民としての心構への片鱗だにあらば非国民的敵性産業は直ちに放棄すべき筈なり。然るに彼等は利益の事には敢て手段を撰ばず。
(中略)
斯くの如き日本内地人には想像も及ばぬ現象を呈するは、一は権威ある指導機関無きにも依ると雖も一般在伯同胞の智的方面及び思想上に見逸し難き欠陥ありと思考さる。如上の混乱せる同胞の思想を匡正し善導すべき使命を以て立上りたる愛国運動は彼等敗戦希望者及び之等の敵性産業従事者等の容るる所とならず却って反動的態度を以て臨み益々敗戦を強調して敢て譲らず、遂には伯国官民の敗戦を信ぜるを好機として、官憲の意を迎へ、彼等は自己の財力のみならず、不正なる財源に依る莫大なる金品に依り伯国官憲を買収し、官憲は又喜んで之に応じ敗戦希望者を擁護援助し、恰も伯国の警察権は不逞同胞の命を受けて活動するかの如き奇観を呈し、不逞同胞は常に聖市中央警察は無論奥地警察等へ頻繁に出入し彼等の誣告密告に依り検挙し逮捕せらる。
奥地不逞同胞は警察官と等しく公然白昼堂々腰に拳銃を横たへ市街を横行し善良なる一般邦人を圧迫し其の
斯くの如く不逞同胞の暴挙顕著なるに及び遂に熱血の愛国者は黙止し難く之等敗戦希望非国民の巨頭に天誅を加へ以て一般妄動せる彼等同類を覚醒せしめ国辱的言動を防圧すべく積極的行動に及びたりと見る。
本年三月初旬及び四月初旬に一、二、敗戦巨頭の暗殺事件勃発するに及び、彼等は自己の身辺に危惧を感じ各地の敗希賊は同類を糾合し数回に亘り集会協議し、自己の生命の保証を求め伯国政府当局及び聖市中央警察へ陳情し、テロ行為の徹底的防圧取締を歎願し併せて一般の戦勝論者の祖国の敗戦を強制認識さすべく各種の術策を弄し遂には聖庁執政官及ひスエーデン公使等を利用して祖国の敗戦を強調なさしめ又戦捷信ずる同胞を目して伯国の治安に有害なりとなし、国外放
聖市中央警察は之に呼応して去る四月初旬邦人移民史上未曾有の大検挙を敢行し、厄を蒙り投獄されたる者壱千名を越へ聖市監獄は為に未曾有の盛況を呈せり。
之等無辜にして投獄されし同胞中獄中に悲惨なる最後を遂げたる者あり。又多くの病者を生じ、自ら悲憤の涙なき不能ものあり。
(中略)
斯くの如き事実は未だ曾て世界各国に其の類例あるを聴ず我等日本臣民の胆に銘じて永久に忘る不能る痛恨事なりと信ず
是等投獄されたる同胞は何等殺人事件に関係なきは調書の上に明瞭なるにも不拘、不法監禁投獄し四月初旬以来半歳の今日に至るも釈放せず、一時大部分の釈放ありしも今尚ほ八拾余名は釈放せざるのみならず悉く遠島流の刑に処せられたり。
茲に於て我等同志相計り伯国政府要路大官諸氏に対し再三歎願書を提出し善処方を懇願せるも何等の効果ありしを見ず却って奥地の事態は益々悪化の一路を辿り敗希賊は警察と合同し一般邦人に大弾圧を加へる事に依り愈々テロ行為に拍車を掛け、警察及び敗希賊は益々暴威を振ひ狂暴至らざるなく、あらゆる惨虐行為を敢行し幾多の貴重なる犠牲者、及び重傷者、病者を続出せしめ以て戦勝論者を脅し其の業に安ずる不能しめ、敗戦を強制認識なさしめんとす。
斯く如き状態は去る七月上旬より八月に入り最も甚しく奥地警察及び聖市中央署に投獄せられたる同胞すでに一千名を越ゆ。
而も伯国政府は之等の事実を治悉せるにも不拘何等適宜の処置を構することを得ず傍観者的態度なるは全く無政府状態と謂ふべし。
之を要するに伯国警察当局の腐敗泯乱に依る事勿論なりと雖とも又伯国政府の全く無力なる事は重大なる因を為すものと見るを得べく、殊に之等の事情に精通せる不逞同胞の乗ずる処となり彼等の策謀に依り愈々事態は紛糾し到底収拾なし難き状態となる。
此処に至り遂に我等何をか為すを得べき唯々涙を飲むで隠忍自重只管祖国の音信を千秋の思ひをもって待つのみ。
然るに今茲に待望久しき祖国日本の御使節を迎ふる事を得、我等同胞欣喜雀躍手の舞ひ足の踏む所を知らずと雖ども、亦悲しき報告を
昭和二十一年九月 日
在伯日本人有志一同謹白