「こんどは封書も日本へ行きます」 『パウリスタ新聞』 1947年2月15日
こんどは封書も
日本へ行きます
送りませう・家族の写真も
『パウリスタ新聞』 1947年2月15日
対日通信はこれまでハガキのみにかぎられていたが、こんどから封書も出せるようになつた、もつともこの方はまだ伯国政府の正式許可があつたわけではなく在リオ対日救済世話人及び在サンパウロ、スエーデン領事館日本権益部で北米と日本間に郵便物の往復がある点に目をつけ、一たん北米にこれらの封書を空輸し北米で投函した形式で日本へ送られるものである、したがつて封書で出す場合はハガキのように最寄の郵便局に投函するとゆうように手軽にはゆかず必ず一旦は前記の日本権益部に送り、同部の手をへて北米空輸の処置をとつてもらわなくてはならない
封書を出す場合の要領は大体次のようである
実費 五グラム迄四グラム十グラム迄六ミル
封書 無地の白いもの、便箋は薄手のもの
宛先 書方は従来のハガキの場合と同様、但し北米で投函する故VIA U.S.A.の文句を入れないこと
写真及びナツシメント等の封入は差支えないが有価証券(小切手、貯金帳、紙幣)を封入することは許されていない
封筒実費で日本行封書に要する封筒は無地(薄手、ブランコ[注 白])であればいいわけだが、日本権益部では一般の便宜をはかつて特に印刷した封筒を実費でわけている、だいたい一部五〇〇レースぐらいであると
なお、日本権益部の宛名は
Rua Ribero Badaro, 39
2.o Andar