松本烝治「司令部との交渉一般 I II III」

松本二の(三六)

三六 司令部側トノ交渉一般 I II III

司令部側トノ交渉一般 I

二月八日 当方案(要綱)及説明書(大体ノ説明ト軍ニ関スル規定ノ説明)ノ英訳ヲ司令部側ニ使送ス 其ノ後速ナル面会ヲ求メラレタル末
二月十三日 午前外相官邸ニ於テ外相ト共ニ「ホイットネー」少将「ケヂス」大佐外二名ト会見、先方案ヲ提供セラル 約一時間位談話(別紙参照) 右終ハリ直ニ首相ニ報告 協議ノ末一応弁明書(再説明書ト題ス)ヲ作成 書面ヲ以テ交渉ニ決シ構想ヲ練リタル末執筆英訳ノ上
二月十八日 白洲次郎氏之ヲ司令部ニ持参ス 即時ニ回答アリ 当方案ニ付テハ考慮ノ要ナシ 先方案ヲ基礎トシテ進行スル意思アリヤ否ヤヲ二十日中ニ回答セラレタク然ラサル限リ先方案ヲ発表ストノ話アリタリトノ報道ニ接シ大ニ憂慮シ首相ニ報告協議ノ上
二月十九日 閣議(商相ノミハ欠席ナリシ)ニ於テ初メテ従来交渉ノ顛末ト先方案ノ大旨トヲ説明シタル結果首相ニ於テ「マックアーサー」司令官ト会見先方最終ノ意思ヲ確メタル上去就ヲ決スヘキコトト為リ 先方ニハ回答ノ日ヲ廿二日ニ延期セラレタキ旨申入レ首相ハ廿一日「マクアーサー」ト長時間ニ亘リ会見セラレタリ
二月二十二日 閣議前ニ首相ヨリ会見ノ模様ヲ語ラレタルカ其大要ハ先方ノ主眼トスル点ハ第一条ノ天皇ヲ国ノ象徴ト定ムル規定ト第二章ノ戦争ノ廃止ノ規定トナリ何トカ交譲ノ餘地ナキヤトノ話ナルヲ以テ若シ然リトスレハ事必スシモ解決ノ見込ナシト絶望スルニ及ハサルヘキモ去十三日ノ会見ノ模様ニテハ中々容易ナラスト考ヘラル何レニセヨ閣議ニテ十分諮ラレタキ旨ヲ述フ 閣議ニ於テ首相ヨリ詳細報告アリ 数人発言アリタルモ結局同日午後余ニ於テ先方側ト会見去十三日ノ所謂基本原則ハ承認スルモ根本形態ノ及フ範囲如何ニ付問答シテ其ノ要求ノ趣旨ヲ明ニスルコトニ決セリ 仍テ午後二時外相ト共ニ司令部ニ至リ「ホイットネー」氏以下四人及通訳、女子記録者、当方側白洲氏ニテ会見一時間四十分ニ亘リ相当詳細ニ所謂根本形態ニ付問答(別紙参照) 先方ノ殆ト譲歩ノ意ヲ示ササルニ失望シテ辞去セリ 同日一応首相ニ報告 ソレ以来引続キ先方ノ意ニ反セサル様極端ニ注意シツツ先方案ノ飜案起草ニ著手ヲ始メタリ
二月二十五日 午前地方長官会議ニ先チ臨時閣議アリ 約四十分ニ亘リ二十二日ノ会見ノ模様ト第一章及第二章ノ余ノ飜案条文トニ付一応報告セリ
二月二十六日 午后ノ閣議ニ於テ先方案ノ飜訳ヲ閣僚ニ配布シ議ヲ乞ヘルモ決著セル所ナク余ニ於テ助手トシテ佐藤法制局第一部長ヲ依嘱シ速ニ飜案全部ヲ作リ飜訳ノ上三月十一日ヲ期限トシテ先方ニ交付スルコトノ諒解ヲ得タリ 仍テ同日以後直ニ著手 第一章、第二章、第四章及第五章(天皇、戦争ノ廃止、議会、内閣)ノ部分ハ自ラ執筆シ同時ニ当方飜案ノ説明書ヲモ起草シ又佐藤氏受持部分ノ第一稿ニ加筆シ入江法制局次長ノ助力ヲモ乞ヒテ終ニ三月二日ヲ以テ一応脱稿セリ 然ルニ先方ハ其ノ間数回一層速ニセヨトノ督促ヲ為シ来レルカ故ニ三月四日右飜案ヲ邦文ノママ司令部ニ持参 当方側ト先方側トノ飜訳者ヲ動員シテ共同飜訳ニ従事スヘキ旨ノ約束ヲ為スノ已ムナキニ至リタリ 而シテ今茲ニ右飜案ノ大体方針ヲ一言スレハ先方案ハ恰モ毬ノママノ栗ノ如ク到底之ヲ呑ミ込ムコト能ハス 然モ二月二十二日会見ノ際ノ「ホイッネー」氏ノ意見ニテハ毬ヲ取去ルコトモ殆ト同意セサルモノノ如キヲ以テ完全ニ呑ミ込ミ得ル程度ニ毬ヲ取去リ且皮ヲ剥ク以上到底「ホイットネー」等幕僚ノ門ヲ通過スルコト能ハサルヘク徒ニ衝突ヲ生シ議論ヲ為スハ事ニ益ナカルヘキカ故ニ一応大ナル毬ヲ取リ一部皮ヲ剥ク程度ニテ未タ当方ノ閣議ニ諮ラサル試案トシテ提出シ更ニ何回カノ改案ノ餘地ヲ後日ニ残スヲ可トスヘシトノ卑見ニ立脚セルモノナリ 或ハ此方針ニ慊ラサルヤノ意見ヲ抱ク者ナシトセサルカ如キモ果シテ然ラハ如何ナル定見アリヤ 幕僚ノ門際ニ於テ既ニ停頓スレハ如何 責ヲ負ヒテ辞職スルハ余ノ最モ安易トスル所ナルモ其ノ後ヲ如何ニスルヤヲ問ハハ恐クハ顧ミテ他ヲ言フニ止マラン 而シテ三月四日提出案カ果シテ先方ニ受領セラルヘキヤ否ヤ之ヲ思ヘリ 真ニ憂慮措く能ハサルナリ (右迄三月三日稿)

II

三月四日 午前十時当方対案及説明書ヲ邦文ノママ携帯、白洲次郎氏、外務省ノ小畑、長谷川両氏及法制局ノ佐藤氏ヲ帯同シ聯合軍司令部ニ赴キ先ツ「ホイットネー」将軍ニ面会、当方案カ未タ閣議ヲ経テ決定セラレサル私案ニ過キサル旨ヲ説明シテ之ヲ交付ス 直チニ我二人ノ各飜訳者ニ対シ先方二人宛ノ飜訳者ヲ附シ章別ニ手分ケヲ為シテ飜訳ヲ始メタリ 其ノ間「ケディス」大佐ハ別個ノ飜訳者ニ依リ当方対案ノ研究ヲ始メタルモノト見ママヘ白洲氏ヲ別室ニ招キ先方案第一条ニハ天皇ノ国及国民統合ノ象徴タルコトハ国民ノ主権意思ニ基ク旨ノ外他ノ何レノ淵源ニモ基クモノニ非サル旨ヲ明記シタルニ当方案ニハ右ノ後段ヲ削除シタリ又先方案第二条ニハ皇室典範カ国会ノ制定ニ係ルモノナルコトヲ明記シタルニ当方案ニハ之ヲ削除シタリ此ノ如キ対案ニテハ審議ヲ進ムルモ益ナカルヘク飜訳ハ之ヲ打切ルノ外ナシトノ伝言ヲ為セリ 仍テ余ハ第一条ニ国民至高ノ総意ニ基ク旨ヲ定メタルハ論理上当然他ノ淵源ニ基クモノニ非サルノ意味ヲ包含スヘク先方案ニ何等変更ヲ加フル趣旨ニ非ス我憲法ノ条文トシテハ右ノ如キ自明ノ理ヲ冗長ニ規定セサルヲ慣例トス又第二条中ヨリ国会ノ制定ニ係ルトアルヲ削除セルハ其ノ趣旨ニ多少ノ変更ヲ加ヘ別ニ後条ニ規定セルカ故ニ因ルモノニシテ其ノ理由ハ説明書中ニ詳述シタリ此等提出書類ノ全部ヲ閲了ノ上意見ヲ述ヘラレタシ尤モ飜訳ヲ打切ルト否トハ当方ノ関スル限ニ在ラスト白洲氏ヲ通シテ言明セシメタルトコロ此ノ問題ニ付テハ其侭ト為リタルモ次ニ余ヲ別室ニ招キ第三条ニ天皇ノ行為ニ内閣ノconsentヲ要ストセル先方案ヲ内閣ノ輔弼ト改メタルモconsentハ協賛ニ当ルヘク之ヲ単純ナルadviceヲ意味スル輔弼ニ変更シタルハ何故ナルヤト詰問セリ 仍テ余ハ輔弼ヲadviceト訳スルハ適当ナラスト思惟スルモ之ハ兎モ角トシ輔弼ナクシテハ天皇ハ何等ノ行為ヲモ有効ニ為スコトヲ得ヘカラス輔弼カ憲法上ノ要件タル以上、之ヲ掲クレハ足レルニ非スヤ協賛ナル語ハ議会ノ場合ニ限リ用ヒ来ラレタルモノニシテ此ノ場合ニ之ヲ用フルヲ得スト答ヘ議論高熱二十分以上ニ及ヒタリ 其ノ間余ハ各国ニハ各国ノ国語アリ日本ニ於テハ例ヘハ英語ノyouニ当ル語ニ数種アリ相手方如何ニ依リ用語ヲ異ニス用語ノ問題ハ当方ニ委セラレタシト云ヒタルニ対シ相手方ニヨリ用語ヲ異ニスルカ如キハ非民主的ニシテ宜シク改ムヘキコトナリト迄極論セルヲ以テ余ハ貴下ハ日本語ノ変更ヲモ企図セラルルヤト反駁セルモ議論ニ際限ナキヲ憂ヘ此点ニ付再考スヘキモノトシテ一応之ヲ終ヘ遅レタル中食ニ移レリ 斯クシテ二時半頃迄司令部ニ止マリ居リタルモ「ケディス」大佐ハ相当昂奮セル状態ニ在ルヲ以テ議論激化ノ結果他日ノ交譲妥協ノ餘地ヲ減殺スル虞アルコトヲ慮リ後事ヲ佐藤氏ニ委ネ用務ニママ籍口シテ帰リテ総理大臣ニ概略ノ報告ヲ為セリ 然ルニ当方案ノ飜訳ト之ニ対スル先方ノ対案ノ作成トハ四日ノ夜ヲ徹シ五日午後ニ至ル三十時間許ニ亘リテ続行セラレタリ 乃チ四日午後八時頃岩倉書記官自動車ヲ以テ余ノ出頭ヲ求メ来レルモ余ハ前記ノ理由ニ因リ後日ノ交渉ヲ留保スルニハ出席セサルヲ有利ナリト考ヘタルヲ以テ病気ト疲労ヲ口実トシテ出頭ヲ拒絶セリ
三月五日 閣議ニ於テ前日ノ交渉ノ模様ヲ報告セルニ既ニ司令部ヨリ先方ノ対案部分的ニ到著セルヲ以テ直チニ之ヲ邦訳シテ付議スルコトトセリ 元来余ノ作成セル対案ハ説明書ニ挙ケタル如ク(一)二院制ヲ採用セルコト(二)皇室典範改正発議権ヲ天皇ニ留保セルコト(三)憲法改正カ国会出席者三分ノ二ノ多数ニ依リ議決セラレタルモノナル旨ノ先方案ノ規定ヲ削除セルコト(四)先方案ノ前文ヲ削除セルコトノ四点ノ外国民ノ権利義務ノ章中ノ多数規定ヲ削除、整理シ或ハ其ノ順序ヲ変更セルコト及衆議院解散等国会召集ノ不能ナル場合ニ於ケル常置委員会ノ国会代行ノ規定ヲ置ケルコト等相当大幅ニ先方案ニ変更ヲ加ヘタルモノナルモ尚司法ノ章ノ如ク先方ノ餘リ重ヲ置カスト見ユル規定ニ付テハ更ニ第二次ノ対案ニ於テ変更ヲ加フル考ヲ以テ故ラニ大体先方案ヲ踏襲セルモノニシテ即チ当方ノ対案ニ対スル先方ノ対案ニ対シテハ之ニ盲従スルコトナク更ニ再対案ヲ提出シテ其ノ成立ニ努力スル予定ナリシモノナリ 然ルニ先方ノ対案ハ上記(一)ト(三)ノ二点ヲ容レタルモ(二)ト(四)ハ之ヲ排斥シ又国民ノ権利義務ノ章中ノ変更ニ対シテハ概ネ旧案ニ復旧スルコトトシ(尤モ土地及天然資源カ究極国有タルヘキ趣旨ノ規定ノ削除ハ其侭承認セリ)又参議院ノ組織及権限ニ関スル当方対案規定ニハ相当ノ大変更ヲ加ヘ又天皇ノ権限中国務大臣ノ任免及恩赦ニ付其ノ認証トアルヲ削除セル点モ之ヲ復旧セル等到底承服シ難キ箇所多キヲ以テ再対案ヲ作成シテ交渉ヲ再開センコトヲ欲シ此ノ意味ノ意見ヲ述ヘタルモ四囲ノ事情ハ一日ノ遷延ヲモ許サス先方ハ我方ノ即時決定ヲ要求シ居レリトノ情報ヲ述フルモノアリ 終ニ字句等些末ノ点ヲ暫ク措キ一応先方ノ対案ニ服従スルコトニ決定セリ 仍テ午後五時頃幣原首相ト共ニ参内内奏シ勅語ノ降下ヲ仰キテ退出 閣議ヲ再開シ午後九時頃ニ至レリ
三月六日 午前九時ヨリ閣議開始(中途地久節賜謁ニ付参内) 晩方ニ至リテ憲法改正要綱ヲ議了直チニ之ヲ発表スルコトトシテ散会セリ 昨年十月以来ノ苦心労作ハ斯ク倏忽裏ニ結局セラレタルコト真ニ意外千万ナリ 翌七日ハ在宅休養 八日閣議後新聞記者団ト会見シテ帰宅 九日朝ヨリ血圧昂進ト挫骨神経痛ト併発約一週間ノ病臥ヲ要シ転タ七十ノ頽齢大事ニ当ルニ耐ヘサルヲ痛感セリト雖モ俄ニ骸骨ヲ乞フハ誤解ヲ惹起スル虞アルコトヲ思ヒ草案ノ成文化、附属法令ノ起案等ニ努力スル為メ暫ク奉公ヲ続クルコトニ決意セリ (四月初旬稿了)

III

憲法改正草案要綱発表後ニ於ケル成文化ハ専ラ法制局ニ於テ之ニ当リ口語体ヲ用フルコトトシ数回ノ稿ヲ重ネテ終ニ改正草案トシテ之ヲ発表スルニ至レリ(口語体ハ国語、羅馬字等ノ関係諸団体ノ代表者ト会見シテ其ノ慫慂ヲ受ケ心動キタル結果閣議ニ諮リタルトコロ意外ニモ大賛成ニテ採用ニ決セルモノナリ 其ノ一得点ハ聊カ飜訳臭ヲ蔽フニ足ルニ在リ) 右ノ改正草案成立ニ至ル迄ノ交渉ハ入江、佐藤ノ両氏専ラ之ニ当レルモノニシテ多クハ字句、法文順序等形式的ノ整理ニ関セルモノナルモ改正草案カ前要綱ニ比シテ実質的ノ改善ヲ遂ケタル主要ナル点ハ三アリ 一ハ第五十条第二項但書以下ノ追加ニシテ之ニ依リ国会召集不能ノ際ノ緊急立法及処分ニ不完全乍ラ法的根拠ヲ与ヘタル点ナリ 二ハ裁判官ノ停年七十トアリタルヲ法律ノ定ムル年齢ト定メタル点ナリ 三ハ第十一章補則ヲ追補シタル点ナリ 而シテ右ノ第一及第二ノ二点ハ余ノ指導ト鞭撻ニ因リテ得タル成果ニシテ聊カ喜トスル所ナリ 尚ホ茲に附記スヘキハ右改正草案ハ枢密院ニ対スル諮詢ヲ奏請シタル為同院ニ於テ四月二十二日乃至五月十五日ノ間ニ八回ノ委員会開カレ質問ヲ終了シタルコトナリ 余ハ四月廿三日内閣総辞職決定セル為辞表ヲ提出セルニ拘ラス後継組閣遷延セル結果測ラスモ右八日間ノ委員会ニ出席シ職責ヲ果スコトヲ得タルハ聊カ自ラ慰ムル所ナリトス (昭和廿一年五月十八日誌ス)

以上の資料に対する説明書 佐藤 功

昭和二一年二月八日憲法改正要綱を総司令部に提出して以来同年五月退官に至るまでの経緯を三回に分けてその都度松本国務大臣が手記を置かれたものである。
Copyright©2003-2004 National Diet Library All Rights Reserved.