史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

攻城砲隊戦闘報告

[攻城砲隊戦闘報告]


攻城砲隊戦闘報告 明治十年九月十九日より
         同二十四日に至る

  砲   種 砲 隊 数
  四斤野砲 四斤山砲 クルプ野砲 ブロドエル山砲 二十拇臼砲 十三拇臼砲 十二拇臼砲    
            五門 第一旅団 四分隊
        六門 第二旅団 三分隊
            九門 第三旅団 四分隊
            六門 第四旅団 四分隊
            三門 別働第一旅団 四分隊
      十五門 別働第二旅団 六分隊
            三門 新撰旅団 三分隊
          六門 熊本鎮台 三分隊
八門 二十九門 八門 一門 四門 一門 二門 備考 砲門の位置名所の如きは別に図面を以て詳述す
総計 砲隊 五十三門
三十一分隊
         

戦闘之景況

九月十九日より二十三日に至る間は各砲門に十発以内を限り、昼夜機に臨して城山前後の賊塁に向て注射せしむるも、賊敢て応せず。就中夜に入り臼砲を以て焼弾を二ノ丸に放つ事両三夜、皆命中其度を得たりと雖も、賊亦力らを尽して火焔を撲滅するを以て、惜かな充分の焚焼を施す事能はず。廿三日は海軍より備えたる十六サンチメートルクルプ砲を以て城山背後突角の巨塁二三を撃摧す。

同廿四日午前四時、城山四面大攻撃。其進撃の合図として、別働第二旅団より四斤山砲を三発せしめ、此の号砲に応し、第一旅団の砲号は小黒山より四斤山砲二門を以て新集院谷の一角の賊塁に向て発射し、第三旅団の砲兵四斤野砲一門、同山砲六門を以て城山前面に向て七十四発第四旅団の砲兵はクルプ野砲一門を以て大明神の丘より新集院谷の賊塁に向て八発、別働第二旅団の砲号は小黒山よりクルプ野砲二門を以て新集院谷及ひ池ノ平の賊塁に向て二十発、熊本鎮台砲兵は大明神丘より四斤野砲二門を以て新集院谷及ひ池ノ平の賊塁に向て四十三発せしめ、大に歩兵隊の援助をなす。既にして歩兵隊瞬時に賊塁に突入するを以て各門の発射を停む。此の日戦機に因り、吾兵の侵略して進むに随ひ、第一旅団並に別働第二旅団の四斤山砲各一分隊つつをして位置を転進せしむるの部署なりしと雖も、本日の攻撃暫時にして畢り、充分の効用を奏するに至らざりき。
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