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1-11 西南戦争
田原坂 『珍らしい写真』所収
土蔵 『珍らしい写真』所収
長州藩の脱隊騒動など、明治初年から散発していた士族反乱は征韓論の決裂をきっかけに本格化し、中国地方・九州地方においては征韓の断行と武士的特権の回復を求める武力蜂起が相次いでいた。鹿児島県下においては、桐野利秋らが組織した私学校派士族と県令大山綱良とが協力して独自の政策を進めていたが、明治10(1877)年初頭に発生した私学校派の火薬庫襲撃事件や鹿児島への政府密偵派遣をきっかけに、政府との緊張が高まった。隠遁生活を送っていた西郷隆盛は、私学校派の求めにより決起を余儀なくされ、2月15日、政府に尋問の筋ありとして進軍を開始した。熊本・宮崎を転戦した西郷軍は9月に入り鹿児島へ帰還し、城山に立てこもったが、同24日の政府軍総攻撃により壊滅した。本史料は総攻撃の指揮をとった大山巌による報告書で、戦闘の模様や使用した大砲の数などが記されている。
攻城砲隊戦闘報告
- [明治10年9月19日~24日]
- 大山巌関係文書 44−84
- 国立国会図書館(寄託)