史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

[大隈重信の上奏文(写)]

[大隈重信の上奏文(写)]



【1コマ~5コマ】

臣謹て按ずるに、根本立て而て枝葉栄へ、大綱を挙て而て細目定る。今日の政務に於ける、応に立つへきの根本有り、応に挙くへきの大綱有り。今や廟議方に明治八年の聖勅国議院設立の事に及ぶ。則ち意見を論述して以て進む。垂鑑採納を賜らは、何の幸か是に若かん。臣重信誠惶誠恐頓首謹言。

明治十四年三月 参議 大隈重信


第一 国議院開立の年月を公布せらるへき事

第二 国人の輿望を察して政府の顕官を任用せらるへき事

第三 政党官と永久官とを分別する事

第四 宸裁を以て憲法を制定せらるへき事

第五 明治十五年末に議員を撰挙し十六年首を以て議院を開くへき事

第六 施政の主義を定むへき事

第七 総論


第一 国議院開立の年月を公布せらるへき事


人心大に進て而て法制太た後るるときは、其弊や法制を暴壊す。人心猶ほ後れて而て法制太た進むときは、法制国を益せず。故に其進む者未た甚た多からす、其後るる者稍く少きの時に当り、法制を改進して以て人心に称ふは則ち治国の良図なり。

去歳以来国議院の設立を請願する者少からす。其人品素行に至ては種々の品評ありと雖とも、要するに是等の人民をして斯の如き請願を為すに至らしむる者は、則ち是れ人心稍く将に進まんとするの兆候にして、自余一般の人心を察するに、其後るる者亦た甚だ稀少ならんとす。然らば則ち、法制を改進して以て国議院を開立せらるるの時機、稍く方に熟すと云ふも可なり。

又人心稍く進み法制稍く後るるときは、人心の注著する所一に法制の改進に在るか為めに、夫の人民に緊要なる外国に対峙するの思想と内国を改良するの思想とは殆んと其の胸


【6コマ~10コマ】

裏より放離し去り、唯制法改革の一辺に熱中せしむるに至らんとす。是亦国家の不利なり。

故に民智の度位を察し、国内の清平を謀り、制法を改進して以て漸次立憲の政を布かせらるへき聖勅を決行あらせられん事、是則今日応に挙くへきの大綱、応に立つへきの根本なり。請ふ、速に議院開立の年月を布告せられ、憲法制定の委員を定められ、議事堂の創築に着手せられん事を。

(開立の年月は第五条に詳記す。)


第二 国人の輿望を察して政府の顕官を任用せらるへき事


君主の人物を任用抜擢せらるるは固より国人の輿望を察せらるへき事なれども、独裁の治体に於ては国人の輿望を表示せしむるの地所なきか故に、或は功績に察し或は履行に求め、其最も国人の為に属望せらるへしと叡鑑あるの人物を延用して政務の顧問に備へらるるも、是已むを得さるに出る者なり。若し政体に於て国人の輿望を表示せしむるの地所あらんには、其輿望を察して以て人物を任用せらるへきは無論なり。斯くの如くせは則ち撰抜明に其の人を得て皇室益々尊かるへし。

立憲の政治に於て輿望を表示するの地所は何ぞ、国議院是なり。何をか輿望と謂ふ、議員過半数の属望是なり。何人をか輿望の帰する人と謂ふ、過半数を形る政党の首領是なり。抑国議員は国人の推撰する者にして其の思想を表示する所なるか故に、其推撰を被りたる議員の望は則ち国民の望なり。国民過半数の保持崇敬する政党にして其領袖と仰慕するの人物は、是豈輿望の帰する所にあらずや。然則ち立憲の治体は是れ聖主が恰当の人物を容易に叡鑑あらせ玉ふへき好地所を生する者にして、独り鑑識抜撰の労を免れ玉ふのみならす、国家をして常に康寧の慶福を享有せしむるを得へきなり。何となれは、斯くして撰用せられたる人物は人民参政の地所なる国議院に於て過半数を占有するか故に、外には則ち立法部を左右するの権を握り、又聖主の恩寵を得て政府に立ち自党の人物を顕要の地に配布するか故に、内には則ち行政の実権を操るを得へし。是を以て内外戻らす、庶政一源より発し、事務始て整頓すへけれはなり。

其治体は立憲にして、其国康寧の慶福を享けす、或は時として紊擾紛乱の勢態に至る列国治乱の迹を按するに、是等の不幸に陥入するの病源は、常に執政者が其地位を眷恋愛惜して捨て難きと、当時の君主か其寵遇の顕官を罷免し能はさるとより、立法部に於て輿望の帰したる政党の首領と行政顕官との間に軋轢を生するに因らさる者なし。夫の有名の立憲国なる英国の如きも、千七百八十二年以前は、則是の如き状勢なりしなり。然れとも積年累歳の経験より、同年以降は君主も輿望を察して顕官を撰用し、国議院中多数政党の首領たる諸人に重職を授与するに至れり。然りしより以来は、政府議院の間に於て復た軋轢の迹を見る事能はす。同国政党の争は常に議院に於てするも、復た政府に於てせさるに至れり。

立憲政体の妙用は其実に在て其形に存せす。立法、行政、司法の三権を分離し、人民に参政の権理を付与するは是其形なり。議院最盛政党の領袖たる人物を


【11コマ~15コマ】

延用して是を顕要の地位に置き、庶政を一源に帰せしむる者は是其実なり。若し其形を取て而て其実を捨ては、立憲の治体は徒に国家紛乱の端緒を啓くに足るのみ。然則前述せる君主か人材登庸の責任より論するも、一国康寧の政理より論するも、列国治乱の実例に鑑照するも、政府の顕官には議院中なる多数最盛政党の領袖たる人物を任用あらせられさる可らす。

然れとも人智の薄弱なるか為めに、一回は国民の輿望を得たる政党も其施政の巧拙に因て又衆望を失ひ、議院中の多数勢力却て他の政党に移転する事あるべし。

是等の場合に於ては、聖主亦た衆望を察せられ、新勢を得たる政党中の人物より更に顕官を抜撰せられさるへからす。議院政党の盛衰より生する斯の如き顕官の更送は、尤も整然たる秩序あるを緊要とす。其新陳交代の間に存すへき順序は左の如くならん事を要す。

内閣を新に組織するに当ては、聖主の御親裁を以て議院中に多数を占めたりと鑑識せらるる政党の首領を召させられ、内閣を組立つへき旨を御委任あらせらるへし。然るときは是の内勅を得たる首領は、其政党中の領袖たる人物を顕要の諸官に配置する組立を為し、然る後ち公然奉勅して内閣に入るべし(内閣の組立を委任せらるるは通例政党の首領を可とすれども、時として其党中自余の人に命せらるるも可なり。但斯の如き場合と雖とも行政長は猶其首領ならさるへからす。英国にも時として此例あるを見るなり)。

斯く最盛政党を鑑識せらるるの時に於ては、政党に関係せさる宮方或は三大臣に顧問あらせられんこそ可なるべし。

内閣を組立る所の政党稍く議院に失勢するときは、政府より下附する重大なる議案は反対党の為めに攻撃せられて屢々議院中に廃案と為るへし。是則ち内閣政党失勢の兆候なり。斯の如きときは庶政一源に出る事能はさるか故に、失勢政党は是時を以て退職するを常とすへし。

斯く失勢の兆候既に現然たる時に於て、其政党勢威に眷恋し猶ほ行政部を去らさるときは、得勢の反対党より議院に於て「内閣行政の顕官は議院に於て信用を失はさるや否」の決議を為さん事を動議すべし。是の動議に従ひ取決して而て失信用なりと決するときは、議院より聖主に奉書し、内閣已に信用を議院に失ふ、速に親裁更撰あるへき旨を請願すへし。失勢政党猶ほ退職せさるときは、聖主は議院の求に応ぜられ之を罷免せらるべし(英国等の例に因り、失勢の兆候現はれしと同時に退職するを常とすへし)。

然れとも執政々党既に議院に失勢の兆を現はし失信用の議決を受けんと欲するに臨むとも、若し広く国人の意想を察し其実に我政党に多数の属望あるを洞識し、現在の国議員は誤撰なりと認むるときは、聖主の允許を蒙り、聖主に特有し玉ふ議院解散の権を以て直に之を散解し、其改撰議員に於て我か政党の多数たらん事を望むへし。若し多数たらは内閣を永続せん、若し少数たらんには


【16コマ~20コマ】

則退職せさるへからす。是の解散権は則各政党か最後の依頼と云ふも可なり(是権は最も濫用を慎むへし、常用すれは大害を醸す。英国の如きも是例は両三回に過きす)。以上政党更送の順序は大抵英国の例に依る者なり。


第三 政党官と永久官を分別する事

前述するか如く政党の盛衰より顕官の更送を生するの時に方り、其更送は全部に及ふへきや将た幾分に止るへきやは、則ち重要なる疑問なり。凡そ諸般の事務は最も習熟を要す。加るに官衙の事の如き其細瑣の条件は多く旧法古例を参照するか故に、最少の費額を以て淹滞なく最多の事務を弁せんと欲するには、属僚下吏の永続勤務を以て最も緊要なりとす。然るに是等の官吏をして常に政党と更送を与にせしめは、其不利不便、蓋し言ふ可らざる者あらん。且つ幾万の官吏其進退を政党の盛衰に繋けは、各派軋轢の勢転た暴激を極むるに至らん。故に官吏中に於て其職指命を司て細務を親執せさる者と、指命に服事して細務を親執する者と区別し、甲を政党官として政党と与に進退し、乙を永久官(則ち非政党官)として終身勤続の者たらしむへし。又上等官人の中に於て、其地位重職に在りと雖とも一国の治安公平を保持するか為めに政党に関与せしむへからさる者有り。是等をは中立永久官と為し、一種の終身官とすべし(英国の例に依る)。

政党官の種類を略記すれは、参議、各省卿輔、及諸局長、侍講、侍従長等是れなり。以上の政党官は大概ね議員として上下院に列席するを得る者とす(大抵英国の例に依る。政党官及ひ非政党官の別は憲法制定の時に於て猶ほ詳議を要するか故に、今唯大要を掲く。以下亦同じ)。

永久官の種類は、各官庁の長次官局長を除て、以下の奏任及び属官等是なり。是等の官人は議員たるを得さる者とす(同例)。

中立永久官は、三大臣(政党に関与せす、聖主を輔佐し奉り、内閣組立の為め最盛政党に内勅を下さるる時等に於て顧問に備り公平に国益を慮られんか為め、其非政党官たらん事を望む。且つ大臣三位は与に無人則欠の官と定められて可なるへし)、及ひ軍官、警視官是れなり。以上三種の職は皆国内の治安公平を保持するに在るか故に、其最も不偏中正の令徳を備へん事を欲すへし。若し是等の官人にして熱心政党に関与せは、他党を圧するか為めに、或は兵力或は裁判権を用ひ国内の治安を妨げ、或は其公平を失し社会の騒乱を醸生するに至る。是其中立不偏を以て令徳と見做すの所以なり。以上の官人も亦議員たるを許ささる者とす(同例)。

又永久官則ち非政党官にして政党に干与するの迹あれば、其主長たる者之を退職せしめて可なり。何となれは政党官たる主長との関係に於て公事に不利ある事多けれはなり(同例)。


第四 宸裁を以て憲法を制定せらるへき事


法規已に立て而て人之に依るときは事輙く定る。法規未た立たすして而て人先つ集るときは事動て定らす。今や無前の治体を天下に施されんと欲するに当り、其完成に


【21コマ~25コマ】

緊要なるは社会康寧の秩序なり。轡策一たひ絶ゆるときは、六馬奔逸して秩序容易に収復すへからす。故に先つ宸裁を以て憲法を制定せられ、是に依て以て国議員を召集せられん事を欲す。右憲法の制定に付ては、内閣に於て委員を定められ速に着手せられん事を冀望す。

憲法の制定は重要なる条件にして、就中上院の組織、下議員の撰挙権、被撰権等に至ては最も深密の用意を要す。是等の諸件は憲法制定の日に上陳すへきか故に、今是処に贅言せす。前述する如く立憲治体の妙用は多く其実に存するか故に、憲法は極て簡短にして大綱に止らん事を要す。又憲法は二様の性質を具備せん事を要す。二様とは何ぞ。其第一種は治国政権の帰する所を明にする者なり、其第二種は人民各自の人権を明にする者なり。政党の政行はれて而て人権を堅固にするの憲章あらすんは、其間言ふ可らさるの敝害あらん。是れ則ち人権を詳明するの憲章、憲法に添附せんと欲する所以なり。


第五 明治十五年末に議員を撰挙せしめ十六年首を以て議院を開かるべき事


立憲政治の真体は政党の政たるか故に、立法行政の両部を一体たらしめ、庶政一源に帰するの好結果を得るに至るは、已に前述する所なり。之を畢竟するに、立憲の政は社会の秩序を紊らすして国民の志想を平穏に表示せしむるに在り。然るに今国内政党無きの時に於て卒然国議院を開立せは、仮令ひ一朝幾多の政党を生出すへきも、其根本堅固ならす、一般人民も亦た何れの政党は如何なる主義を持張するやを知る能はすして、政党の勢威頻々浮沈する事多からん。果して然らは其混乱紛擾の惨態を政治上に現出し、夫の社会の秩序を保持するの治具に因て却て之を紊乱するの恐れあり、戒慎せさるへけんや。

政党の峙立せさるは、蓋し之を生するの地所なけれはなり。然れとも立憲の治体を定めらるるを公示せは、政党の萌芽を発生する事応に速なるへし。斯くして一歳若くは一歳半の年月を経過するを許るさは、各政党の持説大に世間に現はれ、国人も亦た甲乙彼此の得失を判定して各自に其流派を立るに至らん。是の時に於て議員を撰挙し議院を開立せは、能く社会の秩序を保持して以て立憲治体の真利を収め得へし。

故に議院開立の布告は太だ速かならん事を要す、開立の時期は卒然急遽なるへからす。是等の事理に因て考察すれは、本年を以て憲法を制定せられ、十五年首若くは本年末に於て之を公布し、十五年末に議員を召集し、十六年首を以て始めて開立の期と定められん事を冀望す。斯の如くんは、以て大過なかるへきを信するなり。


第六 施政の主義を定めらるべき事


凡そ政党は幾多の源因より成立すと雖、亦た専ら施政主義の大体を同くするを以て相結集する者なり。而て政党の盛衰を致す所以の者は、則ち其施政主義か人心を得ると否やとに在り。又各政党か互に人心を得ん事を望て相攻撃する所の点も亦た各自の主張する施政主義に在り。故に政党の争は則ち施政主義の争にして、其勝敗は則ち施政主義の勝敗なり。前述する


【26コマ~30コマ】

か如く、立憲の治体を定立せられ国人の輿望を察して政府の顕官を任用せらるるに至るときは、則ち政党を成立せさるへからす。政党を成立せんと欲するときは、則ち其持張する施政の主義を定めざるへからす。故に現在内閣をして一派の政党を形くる者たらしめんと欲せは、其成立に最も緊要なるは則ち施政主義を定るの一事是なり。然るか故に国議院設立の年月を公布せらるるの後に於て、直に現在内閣の施政主義を定められん事を切望す。施政主義に就ては重信所見の在るあり、他日別に之を具陳すべし。


第七 総論


立憲の政は政党の政なり、政党の争は主義の争なり。故に其主義国民過半数の保持する所と為れは其政党政柄を得へく、之に反れは政柄を失ふへし。是則ち立憲の真政にして又真利の在る所なり。若し其形体に則て而て其真精を捨ては、独り国土の不幸のみならす、蓋し又執政者の禍患なり。啻に執政者当時の禍患なるのみならす、其恋権の汚名を後世に遺伝するに至らん。

仮令ひ潔清明白の心事を以て政を天下に行ふも、尚ほ或は恋権自利の心あるを疑はるるは、是れ執政者の通患なり。然るに今や立憲の政を施こされんとするの時に当り、立憲国現行の通則に反し其真利を捨てて而て却て恋権の痕を現はさは、執政者にして焉そ国人の為めに厭忌せられさるを得んや。況んや其の恋権は却て急速失権の種子たるおや。

然りと雖とも、権勢を棄却するは古より人情の難する所にして、唯国家を利するに熱渇する者独り能く之を為す。政府に強大の威力を蓄ふる今日の執政者にして、勢威に眷恋せす立憲政治の真体を固定せは、其徳を後昆に表示するに足らん。又仮令ひ社会の毀誉に関せさるも、亦た自ら顧て以て中心に快然たるを得す。世人常に曰ふ、邦国の治乱は多く政治の慣習に生すと。果して然らは、社会の秩序を紊さすして静穏なる政党更送の新例を定立し、政治上に於て国人に康寧の慶福を享有せしむるの端緒を啓かん事、是豈今日の執政者か応為の急務にあらすや。

右謹て議す。

右明治十四年六月二十七日 三条太政大臣に乞て陛下の御手元より内借一読の上自写之

博文

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