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2-3 明治14年の政変
大隈重信と香港鎮台ヘンネッシー 家族とともに 後列左から3人目が大隈重信 『大隈伯百話』所収
明治14(1881)年に大隈重信が密奏した意見書は、イギリス流議会制の採択と、明治16(1883)年初頭の憲法制定を説く、急進的なものだった。さらに既に顕在化しつつあった財政政策をめぐる対立が重なって、政府部内の軋轢はいっそう高まった。折しも北海道開拓使官有物払い下げ問題は世論の沸騰を招き、払い下げ中止運動と国会開設要求が結び付けられて論じられた。こうした運動には大隈に近い人物も多く関与しており、大隈が福澤諭吉とともに黒幕として疑われた。
対応を迫られた政府は、払い下げの中止と、大隈の免官を決定し、明治23(1890)年に国会を開く旨の詔書が出された。当史料は明治天皇の手許にあった意見書を借覧した伊藤博文が、明治14(1881)年6月に自ら筆写したもの。