[選挙演説原稿]
※ 原史料の6ページ目は欠落しています。テキストの該当箇所には、〔作業者注:6ページ目欠落〕と注記しました。
【1コマ~5コマ】
石橋湛山
私は日本自由党の石橋湛山であります。私は今回自由党の公認候補として東京都第二区から立ちましたが、同時に亦私は山川均君の提唱に成る民主人民戦線に加入し、其の世話人の一人に選ばれてをります。そこで友人の一部等からどうして君は実際政治に携るならば社会党に入らなかつたか、自由党とは不思議だと問はれることがございます。私は従来政党政派には何等の関係もありませんから、勿論私としては特に自由党に属さなければならぬ因縁はありません。にも拘らず何故私は自由党を選んだか。それは一言にして唯だ思想の自由を確保致したいからであります。それ以外に何の理由も御座いません。
私は一個の思想家として又経済学者として、社会主義をも共産主義をも聊か研究致してをる者であります。而して其の孰れにも我々は大に学ぶべき点のあることを知つてゐる者であります。併し全体として此等の思想を観察致しますに私は畢竟するに其等は其の儘では、現代の世界、就中今日の日本には実行し難きものと考へます。社会主義或は共産主義と云ふと、大層新しい思想のように考へられますが、例へばマルクス及びエンゲルスの「共産主義宣言」は我が国の年号で申せば嘉永元年即ち明治元年を遡ること更に二十年の昔に書かれたものであります。今日からは既に百年を経てゐるのであります。社会主義に至つては、更に遙に其の起原は旧いのであります。世の中には既成政党と云ふ言葉がありますが、社会主義及び共産主義は其他の資本主義等と共に謂はば何れも既成思想に属すものであります。起原から申せば二、三千年にもなる佛教にも儒教にもキリスト教にも今なほ人心をゆり動かす立派な思想のある如き、思想は只だ旧くからあるものだからとて、勿論排斥は出来ません。併し社会主義や共産主義或は資本主義等は宗教とは異り、現実の経済及び政治を規定せんとするものであります。言ひ換れば我々の日々の実際生活を支配せんとするものであります。第二次世界大戦を経、原子爆弾も現れ来つた今日の世界、況や此の敗戦日本に、原子爆弾以前の既成思想たる此等の主義を其の儘に実行することの不可能なことは容易に想像がつ
〔作業者注:6ページ目欠落〕
【6コマ~10コマ】
政党中斯かる立場を取つてゐるもの──云ひ換へれば何々主義と云ふ如き既成思想の殻を被つてゐないものは遺憾ながら日本自由党の外に無いと信じます。敢て私が此の党を選んだ之れが理由であります。民主人民連盟も亦今日私の理解する所に依れば此の立場を取るものであります。少くも此の約束の下に於てのみ私は之れに参加してゐるのであります。先般鳩山総裁は、民主戦線に参加せずと声明して、様々の論議を世に起しました。併し之れは民主戦線の名にかくれて、例へば天皇制廃止と云ふが如き或種の思想の宣伝を行はんとする者とは一緒に行けないと云ふ意味であります。真の意味の民主戦線即ち飽まで思想の自由を立前とする真の民主主義者の大同団結に反対する者ではありません。それ所か日本自由党こそ、斯かる民主主義者の大同団結を実現する目的を以て発足し、而して日々其の結成に力めてゐる者であります。
共産主義は御承知の如く、其の理想として階級の区別無き従つて階級間の反目無き平和社会の実現を期するものであります。併し其の主張者は此の理念に到達する為めには、手段として先づプロレタリヤートの革命と又プロレタリヤートの独裁政治とが必要だと説くのであります。百年前の欧洲の政治に於ては或はさうあつたでありませう。第一次世界大戦の時代、共産主義革命の行はれた露国に於ては亦さうであつたでありませう。併し前に申した如く既に原子爆弾の現れた今日、「国家連合」が組織されて、従来絶対にして侵す可からずと認められた国の主権さへ、各国ともに之れを棄てることを要求されてゐる今日、又先般発表された我が憲法草案には、独立国家として今まで到底考へ得なかつた戦争権の放棄──即ち国際紛争を戦争の手段に訴へて解決する権利を捨てること──が規定されるに至つた今日、何故国内の所謂階級闘争は之れを超越克復し、止めることが出来ないのでありますか。何故我々は、共産主義の理想とする階級の区別なき社会の実現を只今即刻実現することが出来ないのでありますか。我が国とは比較にならない有利な経済状態にある米国に於てさへ、戦後のインフレ防止の為めには、総ての労働争議──労働者のストライキも、企業家のロツクアウトも──今後少くも一年間停止しなければならぬと有力な政治家に依つて唱へ出されてをる今日の時代であります。況や今次の悲むべき戦争に依り、我か日本は国を亡す一歩手前まで追ひ詰められ、
【11コマ~16コマ】
傷き、殆ど倒れんとしてゐるのであります。私は此の日本に於て、愈よ階級闘争を激しくし、プロレタリヤートの革命戦を更に国内に於て戦はんとするが如きは断じて国家国民を救ふ所以でないと信じます。若し之れに依つて国家国民を救ひ得ると見る者があるとすれば、それは真に我が日本の今日の危機を理解しない者であります。日本の現状を未だ甚だ甘く考へ、噴火山上に舞踏して喜ばんとする者であります。
諸君、今日此の日本の危機を切り抜け、平和的民主的、併しながら同時に従来に優りたる偉大なる日本国を再建する途は只だ八千万同胞の一致協力以外にありません。一本の矢は折れ易いが、三本の矢を束ねれば折り難い。之れは昔毛利元就が其の児に与へた遺訓と伝へられますが、我々は今之れを改めて思ひ起すべきであります。而かも之れは只だ道徳的の教ではありません。或国民が毎年消費する有らゆる物の源は其の国民の労働の外には無いとはアダム スミスが其の「国家論」の冒頭に喝破した千古不滅の真理であります。リカードとマルクスとは之れからして其の労働価値説を編み出したのです。我々は如何にも海外領土を失ひました。併し我々は海外領土を持つと雖も、之れから無代で何物も得てゐたのではありません。例へば台湾から砂糖を朝鮮から米を我々は輸入してゐましたが、其等はいづれも代価を払ってゐたのであります。即ち我々は其等の物に対する代償として、我々の労力若しくは我々の労力に依つて生産した物を輸出してゐたのです。而して其の我々の労力は今茲に幸いにして傷かず、八千万の人口として厳存するのです。経済の源、国力の源は十二分にあるのです。領土縮少したりとて何を悲むことがありませう。
問題は唯だ其の経済の、従つて国力の源たる八千万国民の労力を如何に無駄なく、有効に活用するかです。働かんと欲しても働く途の無い失業者の如きを造らず、苟くも働く力あるものは総て働く。此の組織を如何にして作り、此の方法を如何にして講ずるかであります。それには具体的には、勿論いろいろの施策を必要と致します。併し如何なる施策を致しますにしても、根本に於て八千万国民の一致協力が無ければ、其の效果ある実現を期すことは出来ません。八千万本の矢を一束に固めることです。之れさへ行ひ得れば、具体的施策の如きは、寧ろ自ら生れ出づるでありませう。
階級闘争を超克せよ。而して真個の民主戦線を形れ。之れ実に私の日本自由党の根本的主張であります。