横浜で外国人から英語を習い、通訳となる。明治11(1878)年6月から9月にイギリスの旅行家イザベラ・バード(Isabella L. Bird)の東京から北海道までの旅行に同行した。その旅行記『日本奥地紀行』(“Unbeaten tracks in Japan”)の中でItoという名前で記述されている。その後は、日本初のガイド組織「開誘社」の設立に参画、国賓の通訳を務めるなど活躍した。