解説
父は柳川藩士。元治2(1865)年に長崎へ出て洋学を学ぶ。明治元(1868)年新政府の海軍御用掛となる。のち陸軍に転じ、西南戦争時は第4旅団司令長官として西郷軍の鎮定にあたる。14年に谷干城らと開拓使官有物払下げ中止・憲法制定を上奏。15年より参謀本部次長として陸軍拡張に努めるが、薩長閥の主流派と対立して軍職を去る。その後宮中顧問官・日本鉄道会社社長・枢密顧問官を歴任。24年より貴族院議員を勤め、谷干城らと土曜会の中心人物として活躍した。大正3(1914)年のシーメンス事件に際して、第1次山本内閣の倒閣に関わった。
関連資料