父は庄内藩士。安政6(1859)年軍艦操練所に入所。その後、アメリカに留学。明治4(1871)年に駐米日本公使館書記官となり、臨時代理公使時代に日米対等郵便条約を締結するなど活躍するが、13年に外務省を辞任。以後、生糸の輸出を目的とした横浜同伸会社の取締役となり、30年にわたり販路の開拓、養蚕製糸の改善などに尽力した。