明治20(1887)年陸軍士官学校卒業。30年戸山学校教官、35年陸軍少佐、名古屋地方幼年学校長。37年第2軍管理部長として日露戦争に出征。歩兵第34連隊第1大隊長となり、遼陽の戦闘で戦死した。死後中佐進級。海軍の広瀬武夫中佐と並ぶ軍神として著名になる。著書『経験余録』(1903)ほか。