開拓者。父は伊豆八丈島代官。安政3(1856)年江戸に出る。文久2(1862)年に幕府の軍艦朝陽丸に乗船し、小笠原島に渡る。維新以後、最初の小笠原島開拓者として渡航。鳥島のアホウドリの羽毛と糞を採取し巨万の財を得て、築港、道路建設、特産物の栽培などに投資し、生涯を通じて小笠原、鳥島、南大東島の開発事業にかかわった。