父は長崎町年寄書物役。早くから語学を修得。兵庫県訳官を経て明治新政府に出仕。明治15(1882)年伊藤博文の欧州憲法調査に随行、帰国後伊藤の秘書官として明治憲法起草に参画。22年以降、首相秘書官、枢密院書記官長、貴族院勅選議員、第2次伊藤内閣書記官長、第3次伊藤内閣農商務相、枢密顧問官等を歴任。その間、東京日日新聞社社長も勤めた。枢密院の重鎮として、昭和初期まで政界に影響力を行使した。
伊東巳代治関係文書