日本初の飛行機事故の犠牲者。明治40(1907)年士官学校を卒業。45年に選抜されて飛行機練習生となる。大正2(1913)年青山練兵場よりブレリオ式飛行機を操縦中、所沢飛行場東方で、突風により右翼の支柱が切断し、墜落。同乗の木村鈴太郎中尉とともに死亡した。