父は大庄屋役勤仕。文久元(1861)年武市瑞山が結成した土佐勤王党に参加。3年土佐勤王党が弾圧されると脱藩して長州に行き、尊皇攘夷運動の中心として活躍。坂本竜馬と協力して薩長連合締結に尽力し、慶応2(1866)年締結が実現。同年陸援隊を組織して隊長となる。以後武力討幕を目指し活動していたが、大政奉還後の3年11月坂本竜馬と共に京都で暗殺された。