家は酒醤油問屋。漢学を土井聱牙に、洋学を箕作麟祥に学び、慶応義塾に入り経済学を研究する。八十四銀行、横浜電気鉄道、日本窯業、東京硫酸などの取締役となる。また、明治25(1892)年衆議院議員に当選、東京市会議員、市会議長もつとめた。