鍋島斉直の十七男。天保元(1830)年佐賀藩の10代目藩主となり、藩財政改革をはじめ諸改革に取り組む。大銃製造方を置き、嘉永5(1852)年には洋式鉄製大砲を日本ではじめて製造するなど、軍備の強化に務めた。公武合体も斡旋。維新後は議定職、開拓使初代長官を歴任した。