父は鹿児島藩士。慶応3(1867)年に藩命でアメリカに留学。明治5(1872)年海軍に出仕し、少佐。海軍兵学校長、東海鎮守府長官、中艦隊司令官を経て、17年には新設の海軍省軍事部部長となる。18年中将。19年より参謀本部次長、海軍参謀本部長、横須賀鎮守府長官、海軍大学校長を歴任。25年第2次伊藤内閣の海相となり、海軍の軍備の充実に力を注いだ。26年枢密顧問官。