父は平戸藩士。藩立学校維新館、鹿児島私学校等を経て、明治15(1882)年東京大学文学部に入学。英国留学後、学習院・高等商業学校の嘱託教授となる。30年3月暹羅(シャム)国駐箚弁理公使、36年同特命全権公使。40年スペイン駐箚。任地マドリードで客死。『東方策』(1891)の著者。