父は鹿児島藩士。明治11(1878)年税関職員となる。15年アメリカへ留学。そのまま、在ニューヨーク日本国領事館に勤務するも、17年父の死により帰国。後、大蔵省に出仕。在職中には日本銀行総裁吉原重俊に随行し欧米諸国の銀行事務を視察している。帰国後、日本銀行に入社。検査局長として幣制の改革に尽力した。32年同行を辞職。九州鉄道株式会社、帝国商業銀行の取締役に就任した。