解説
父は南部藩士。苦学の末、明治9(1876)年司法省法学校に入学。12年に退学後、『郵便報知新聞』、『大東日報』の記者をつとめる。外務省入省を契機に官界へ転進。外務次官などを歴任。30年9月、官界から引退するが、伊藤博文を中心に結成された立憲政友会に参加。35年衆議院議員に初当選。以後連続当選8回。政友会の実力者として西園寺公望総裁を補佐し、桂園内閣時代の立役者となる。大正3(1914)年第3代立憲政友会総裁。7年首相となり、初の本格的政党内閣を結成するが、10年東京駅で暗殺された。
関連資料
電子展示会「あの人の直筆」より