実業家。会津藩出身で、白虎隊の一員であった。維新後、軍馬の需要を見込んで長野県に移り住み、畜産会社を経営。長野市の米穀取引所の理事にも就任した。後、電気事業の隆盛を見越して、電圧碍子の製造工場を会津に設立。碍子の技術革新に成功した。