幕末の福井藩主。父は徳川三卿田安家三代目の斉匡。福井藩主松平斉善の嗣子となる。中根雪江、横井小楠、橋本佐内らを登用し、藩政改革を推進。当初攘夷派であったが、のち積極開国論に転じ、開明派の藩主として知られる。将軍継嗣問題で一橋慶喜を推し、安政の大獄で謹慎処分を受ける。文久2(1862)年政事総裁職に就任し、幕政改革にあたる。公武合体派として幕府と朝廷の間を調整。戊辰戦争時は徳川家擁護に尽力。新政府では議定、民部卿、大蔵卿、大学別当兼侍読等を歴任した。