父は金沢藩士。陸軍士官学校、陸軍大学校に学ぶ。陸大教官、参謀本部総務部長、陸軍省軍務局長等をへて、昭和3(1928)年陸軍次官となり、浜口内閣では宇垣一成陸相を補佐。宇垣が病気不在の間、陸相臨時代理に就任。以後、第4師団長、台湾軍司令官をつとめる。8年陸軍大将、軍事参議官。14年首相兼外相となるが、4ヶ月余で総辞職した。以後、汪兆銘政権への特派全権大使、翼賛政治会総裁を歴任。19年には最後の朝鮮総督に就任した。