支藩徳山藩主毛利広鎮の十男として生まれ、本藩萩藩主毛利敬親の養子となる。世子時代は尊王攘夷運動を支持し、国事に奔走。元治元(1864)年の禁門の変では、官位を剥奪されている。慶応3(1867)年王政復古とともに官位が復され、議定・参議などに就任。山口藩主を継いだ後、明治2(1869)年版籍奉還にともない山口藩知事。廃藩置県後は知事を辞任し、第十五国立銀行頭取、同取締役を歴任。23年貴族院議員となる。17年公爵。葬儀は国葬で行われた。