父は犬山藩士。幼少の頃から学問好きで、長じて藩校敬道館の教授となる。維新後に明治政府に出仕。諸陵寮の諸陵権助、神祇省の神祇大禄、教部省の教部大禄、内務省寺社局などに勤める。明治26(1893)年に奈良帝室博物館の嘱託となり、退職後には名古屋、岐阜県御嵩町と移り住んだ。