幕末の高知藩主。父は藩主分家山内豊著。嘉永6(1853)年の黒船襲来を契機に藩政改革を断行、吉田東洋を登用し成果を上げる。幕政にも積極的に参加し、将軍継嗣問題では一橋慶喜を擁立する一橋派を支援。対立する大老井伊直弼に弾圧を受け、2年半にわたり謹慎生活を送る。以後公武合体派として幕政改革に乗り出し、土佐勤王党を弾圧、藩内の尊攘激派の鎮圧に努める。慶応3(1867)年後藤象二郎の進言を受け入れ、徳川慶喜に大政奉還を建白。雄藩連合を構想。明治政府において議定、制度寮総裁等に就く。