明治6(1873)年熊本県警部となり、翌年の佐賀の乱の鎮定に功があった。辞官後は愛国思想の鼓舞につとめ、元寇記念碑の建立を首唱、37年には亀山上皇の銅像を建立した。28年に大日本護国幼年会を設立し、幼年者の貯金より水雷艇の建造を計画するが病により中断。共著書として『元寇』(1893)がある。