小説家。大正5(1916)年東京帝大在学中に発表した「鼻」が夏目漱石に評価され、文壇に登場。卒業後、海軍機関学校の嘱託教官として英語を教える傍ら、「芋粥」(1916)、「奉教人の死」(1918)、第一短編集『羅生門』(1917)などを発表。8(1919)年海軍機関学校を辞職、大阪毎日新聞社社員として文筆活動に専念する。昭和2(1927)年36歳で自殺した。芥川比呂志、也寸志の父。
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