明治36(1903)年東京帝国大学を卒業後、芝浦製作所の職工となり、渡米し可鍛錬鋳造技術を研究。帰国後、井上馨の支援を受け戸畑鋳物を創設。昭和3(1928)年久原鉱業の社長に就任し、同社を日本産業と改称。以後多数の企業の吸収を繰り返し、日産コンツェルンを確立した。12年満洲に進出し、日産本社を満洲重工業開発と改称。帰国後は東条内閣顧問となる。戦後A級戦犯容疑により拘置。釈放後、28年から34年まで参議院議員となる。