解説
父は権中納言堀河康親。岩倉具慶の養嗣子。安政元(1854)年孝明天皇の侍従となる。5年日米修好通商条約勅許の奏請に対し、阻止をはかる。公武合体派として和宮降嫁を推進、「四奸」の一人として尊皇攘夷派から非難され、慶応3年まで幽居。以後、討幕へと転回し、同年12月、大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。明治4(1871)年特命全権大使として使節団を伴い欧米視察。欽定憲法制定の方針を確定し、また皇族、華族の保護に力を注いだ。
関連資料
リサーチ・ナビ
電子展示会「日記の世界」より
電子展示会「あの人の直筆」より