解説
三菱財閥の創始者。父は地下浪人。高知藩に職を得、開成館長崎出張所に勤務し貿易に従事、明治2(1869)年には同藩大阪商会に転じた。廃藩置県に際し藩の事業を引き継ぎ、九十九商会をおこし、後に社名を三菱商会、郵便汽船三菱会社へと改称した。台湾出兵の軍事輸送、西南戦争の軍事輸送を担当。さらに、鉱山・造船・金融・貿易など多方面への進出も試みた。新汽船会社共同運輸が設立されると激しい競争が続いたが、弥太郎は競争渦中の18年に病死し、その事業は弟弥之助、長男久弥に継承された。
関連資料
電子展示会「あの人の直筆」より