彫刻家。明治32(1899)年上京、小山正太郎の不同舎に入門し画家を志す。34年渡米、36年渡仏、ロダンの作品に感動して彫刻に転じた。40年初めてロダンを訪問。41年帰国、「文覚」を制作。42年「デスペア」制作。43年代表作とされる「女」(重要文化財)を完成したが、4月急逝した。日本における本格的な近代彫刻の導入者とされる。