日本画家。家は長府藩の御用絵師。弘化3(1846)年江戸に出、木挽町狩野家に入門した。橋本雅邦とは同門。維新の変革に際し困窮したが、アメリカ人御雇教師フェノロサと出会い、その勧めで西洋絵画の空間表現や色彩等を摂取し日本画の革新に努めた。明治17(1884)年文部省御用掛に任命。21年東京美術学校教授となるが、開校を前に没した。代表作に「不動明王」「悲母観音」などがある。
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