解説
日本画家。絵師の子として生まれ、弘化4(1847)年に狩野勝川院雅信(ただのぶ)に入門。同門に狩野芳崖(ほうがい)がいた。独立後は明治4(1871)年より海軍兵学校の製図掛勤務。15(1882)年第一回内国絵画共進会にて銀牌第一席を得、19(1886)年岡倉天心とフェノロサらの東京美術学校設立に参加。22(1889)年東京美術学校の教授に就任。23(1890)年第三回内国勧業博覧会で作品『白雲紅樹』が一等賞受章、帝室技芸員となる。31(1898)年には日本美術院創立にあたって主幹となる。33(1900)年パリ万国博覧会で作品『龍虎図』が銀賞に輝いた。芳崖とともに、日本画の革新を推し進めた。また、横山大観、下山観山など後進多数を育成した。
関連資料
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