東京専門学校卒業。明治31(1898)年弁護士を開業。34年米国イェール大学に留学。大正元(1912)年衆議院議員に当選、以後当選13回を数えた。立憲国民党、立憲同志会、憲政会、立憲民政党に所属。昭和11(1936)年2.26事件後の第69議会で「粛軍演説」を行い、軍部の政治介入を厳しく批判した。15年の第75議会では、事変処理を糾弾し議会から除名されたが(反軍演説問題)、17年の翼賛選挙で非推薦で当選した。戦後、日本進歩党結成に参加。第1次吉田内閣、片山内閣で国務相となる。