生年が万延元(1860)年とする説もある。父は会津藩士。兄は『佳人之奇遇』の著者柴四朗(東海散士)。青森県庁給仕を経て、陸軍士官学校卒業。明治12(1879)年砲兵少尉に任官。17年中尉に進級後、21年まで清国に駐在し、調査活動などに従事。28年日清戦争出征。33年清国公使館付武官となり、義和団事件で北京籠城戦を指揮、功績を称えられた。37年日露戦争に出征。大正8(1919)年大将、台湾軍司令官。10年軍事参議官。昭和5(1930)年退役。20年自決未遂の後、病死した。