彫刻家。文久3(1863)年仏師高村東雲の門に入って木彫を学び、高村姓を継ぐ。明治10(1877)年内国勧業博覧会で最高賞を受賞。19年東京彫工会を設立。22年から東京美術学校で彫刻科を指導した。木彫に写実主義の技法を取り入れ、山崎朝雲、平櫛田中など後進の育成にも尽力した。大正8(1919)年帝国美術院会員。代表作は「老猿」「楠公像」「西郷隆盛像」など。詩人・彫刻家の高村光太郎、鋳金家の高村豊周の父。
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