解説
詩人、彫刻家。明治30(1897)年東京美術学校(後の東京芸術大学)に入学、彫刻と洋画を学ぶ一方、新詩社に参加して『明星』に短歌を発表。39(1906)年彫刻修業のため欧米に留学、42(1909)年に帰国した。大正3(1914)年口語自由詩の詩集『道程』刊行、同年長沼智恵子と結婚。しばらく彫刻に専念する一方、翻訳『ロダンの言葉』(1916)等を刊行。精神を病んだ智恵子の看病生活が続き、昭和13(1938)年に智恵子が死去、詩集『智恵子抄』(1941)を編む。公的には戦争協力の姿勢を示し、戦争詩集『大いなる日に』(1942)等を発表。戦後は花巻で山小屋生活を送り、28(1953)年に十和田湖畔に裸婦二人像を完成した。
関連資料
著作
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電子展示会「あの人の直筆」より