農家に生まれたが、江戸の天然理心流近藤周助の門弟の一人となる。文久3(1863)年将軍徳川家茂の上洛に際し、警衛のため組織された浪士隊に近藤勇、沖田総司らと参加。同隊の一部はそのまま京都に残留し、京都守護職松平容保の下で新撰組となり、京都の治安維持を担当。土方は副長となった。慶応3(1867)年見廻組肝煎格を命ぜられ幕臣になる。4(1868)年鳥羽・伏見の戦ののち、宇都宮、会津等を転戦、函館五稜郭で戦死した。