解説
13歳で渡米し、苦学してオレゴン州立大学を卒業。帰国後外交官となり、中国、ロシア、アメリカなどに勤務した。大正10(1921)年南満洲鉄道株式会社の理事、昭和2(1927)年に副総裁となる。5年衆議院議員に当選。国際連盟総会に主席全権として派遣され、8年満洲国に関する決議案に反対して退場、連盟脱退に至った。10年満鉄総裁に就任。第2次近衛内閣の外相となり、15年に日独伊三国同盟、16年日ソ中立条約を締結。戦後、A級戦犯に指名されたが判決前に病死した。
関連資料
歴史的音源
松岡洋右の作品、演説を聴く