三宅 みやけ 雪嶺 せつれい

生没年
万延元年5月19日 〜 昭和20年11月26日
1860年7月7日 〜 1945年11月26日)
出身地
石川県
職業・身分
ジャーナリスト 学者(人文科学)
別称
三宅雄二郎(みやけ ゆうじろう)

解説

哲学者、歴史家。父は金沢藩の儒医。明治16年東京大学哲学科卒。21年政教社を設立して雑誌『日本人』を創刊。『真善美日本人』『偽悪醜日本人』(1891)等の著作を通して、国粋主義を主張する。40年には『日本』を『日本及日本人』と改題し、主筆となる。大正12(1923)年には雑誌『我観』を創刊。また哲学者としての主な著作に、『哲学涓滴』(1889)、『宇宙』(1909)がある。最晩年まで近代通史『同時代観』の執筆を続けた。昭和18(1943)年文化勲章を受ける。

関連資料

著作

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三宅 みやけ 雪嶺 せつれい

三宅雪嶺の肖像
  • 三宅雪嶺の肖像1枚目
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