幕臣。父は医師。岡山藩の閑谷学校で漢学、適塾で医学、江川塾で西洋砲術を学ぶ。幕府に用いられ歩兵奉行に進む。戊辰戦争では榎本武揚と共に函館五稜郭で抵抗するが降伏し、投獄。明治5(1872)年に出獄後、新政府に出仕。工部大学校長、元老院議官などを経て、19年から学習院長となる。22年清国公使として赴任。のち朝鮮公使を兼任。日清戦争開戦の端をつくる。