明治17(1884)年慶応義塾卒業。翌年アメリカに留学し20年帰国、銀座に日本初の新聞広告取次業を創始。新聞記者等を経て、26年中上川彦次郎による三井の改革時に招かれて三井銀行に入行。翌年鐘淵紡績会社に移り、大正10(1921)年社長就任。13年から代議士としても活動した。昭和5(1930)年鐘紡社長を辞任。7年政界引退後時事新報社長となり、帝人事件で政財界の腐敗を糾弾中、狙撃され死去した。