政治学者。明治37(1904)年東京帝大政治学科卒業。42年東京帝大助教授に就任後、大正3(1914)年教授に昇任。この年から『中央公論』に次々と政治評論を発表した。特に5年1月号の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」では、デモクラシーに「民本主義」の訳語を与え、普通選挙法の施行と政党政治の実現を主張するなど、大正デモクラシー運動の代表的な論客となった。また、明治文化研究会を組織し、明治文化史研究にも貢献した。