解説
同志社神学校、東京専門学校(後の早稲田大学)等で学ぶ。明治33(1900)年ジャパン・タイムス社入社。42年英文雑誌『オリエンタル・エコノミック・レビュー』(後の『オリエンタル・レビュー』)創刊にあたり派米され、同誌副編集長(associate editor)に就任。大正2(1913)年帰国後は、『ジャパン・タイムズ』編集長を経て、3年国民新聞社に移り、外報部長、編集局長、政治部長等を歴任。13年退社し、評論活動にはいった。昭和20(1945)年読売新聞社長、同年貴族院勅選議員、21年公職適格審査委員、24年日本新聞協会会長。26年新聞文化賞(第1回)受賞。
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