父は鹿児島藩士橋口与三郎。海軍大将樺山資紀の養子となる。同仁舎、神田共立学校を経て明治13(1880)年渡米。22年アマースト大学卒業後に渡独し、ボン大学入学。24年帰国。39年以降、函館船梁、北海道炭鉱汽船、日本製鋼所、千代田火災保険などの重役を歴任。また大正3(1914)年国際通信社創立・社長。11年伯爵を継ぎ、14年貴族院議員。昭和4(1929)年ロンドン海軍軍縮会議日本全権委任随員。21年枢密顧問官。日米協会会長や国際文化会館理事長なども務めた。
樺山愛輔関係文書
樺山家関係文書